2011/02/20 (日)
菅平パインビーク
週末は、スキー大会のために菅平パインビークというスキー場に行ってきました。少し前までは、確か大松山ゲレンデと言ったと思うのですが、いつ頃からかは存じませんが、すっかり装いを新たにして、競技バーン専用のゲレンデに生まれ変わったようです。この週末も3つのスキー大会が同時に行われていました。私たちの大会は、土曜日がスラローム、日曜日がジャイアントスラロームの2種目。
ゴールハウスも3階建てで、2階は大回転バーンのオペレーションとアナウンス、3階はスラロームコースのオペレーションとアナウンスというように分かれています。土曜日は男声と女声にアナウンスが分かれていたのですが、日曜日はどっちの大会も女声アナウンス。よく聞けば声は違うし、スピーカーの向いている方向も違うのですが、選手はときどき、ん? ん? という状態になったようです(笑)
菅平は2日間とも晴天に恵まれ、今年は雪もたっぷりあるので、コンディションは最高でした。ケガ人もなく、小学1年生から70歳代まで、さまざまなスキーヤーが大いに大会を楽しんでいたようで、けっこうなことでございます(笑) 私はといえば、今シーズンは3ヵ所のスキー場へ行き、合計7日間を雪の上で過ごしましたが、なんと1回もスキーを履いていません。あぁ〜(-_-;) まあ、故障があると、仮に滑ったとしても、転倒したらおおごとになると思えば腰がひけます。そして、スキーは腰が引けるとかえって大事故につながりやすいようです。イケイケで飛んで行っているときは案外、転倒もしないものなのですが。もう、いいかげんにスキーに関わるのはやめなさいというところですね(笑)
2011/02/18 (金)
フェイスブック
少し前の話なのですが、「ソーシャルネットワーク」という映画をみました。これが実話に基づくもので、マーク青年が本当にいる人だとは、そのときはまったく知りませんでした(^_^;) 天才というのは、見ている分にはおもしろいけれど、実際に近くにいたりしたら、困っちゃうだろうなぁ〜とか。コンピュータ関係の優秀な人って、取り扱い説明書が必要な人がけっこういますよね。心当たりがないでもない……(笑)
この映画でもっとも印象に残ったのはなんといってもマシンガントーク! ナチュラルスピードで話されたって英語なんかわからないのに、まあまあ、字幕も追いつかないほどの速度でした。これも後で聞いたら、上映時間を短くするために、あえて早口を採用したのだそうです。しかし、このマシンガントークによって、若いエネルギーとテンポが肌で感じられるような映画になっていました。
そのマーク青年が開発した「フェイスブック」。開発したときはたわいのない理由だったようですが、このところの中東の民衆運動に相当の影響力をもったとか。世の中、何がどうかかわるか、わかったものではありませんねぇ。確かに、最初はネット上のカタログのようなものだったフェスブックが、意志をもって動き出したという感じです。けっこう中東情勢を気にしている私なのですが、これはフェイスブックに参加しなければいけないでしょうか?(笑)
この映画でもっとも印象に残ったのはなんといってもマシンガントーク! ナチュラルスピードで話されたって英語なんかわからないのに、まあまあ、字幕も追いつかないほどの速度でした。これも後で聞いたら、上映時間を短くするために、あえて早口を採用したのだそうです。しかし、このマシンガントークによって、若いエネルギーとテンポが肌で感じられるような映画になっていました。
そのマーク青年が開発した「フェイスブック」。開発したときはたわいのない理由だったようですが、このところの中東の民衆運動に相当の影響力をもったとか。世の中、何がどうかかわるか、わかったものではありませんねぇ。確かに、最初はネット上のカタログのようなものだったフェスブックが、意志をもって動き出したという感じです。けっこう中東情勢を気にしている私なのですが、これはフェイスブックに参加しなければいけないでしょうか?(笑)
2011/02/16 (水)
痴漢対策
今日の新聞に、京王線で痴漢対策のために車両に防犯カメラを設置したという記事がありました。私鉄では初めて……ということは、JRにはあるんでしょうか? というか、いまやJRも私鉄ではないの?(笑) それはさておき、設置は何号車と決められているそうで、これは痴漢をお縄にするためというより抑止力にしようという狙いでしょうね。賛否両論ありそうですが、まずは痴漢行為を阻止するのは大事なことかと思います。
同時に京王線は、痴漢の検挙率第1位ということも書かれていました。検挙率第1位ということは、京王線にはそれだけ痴漢が多いということ? ではないだろうと、思います。首都圏近郊を走る私鉄、JRを含めても、京王線が痴漢列車だという話は聞いたことがないので。痴漢列車という汚名は、東上線とかJR総武線とかいう話を耳にしたことがあります。違っていたら、ごめんなさいm(_ _)m
痴漢の数がナンバー1ではないけれど、お縄にしてるのがナンバー1ということですね。確か「女性専用車両」を最初に導入したのも京王線だったと思います。ある意味、女性に優しい電鉄会社を目指しているのでしょうか。若い女性にとっては、ありがたいことですね。私はいまは通勤時間に電車に乗ることはめったにありませんが、朝っぱらから痴漢騒ぎは過去に何度も見聞き、体験してきました。まったく、冗談じゃない!という感じです。痴漢は犯罪ですよ!と、最近はポスターにも書いてありますね(笑)
いろいろな方法で、痴漢撲滅のために電鉄会社が努力するのはいいことですね。京王線、大好きです(^_^;) しかしながら、その前に、痴漢をするような輩は何を考えているのでしょうか。顔を洗って出直して来い! とか、オトトイお出で! とか、言いたくなりますね(^_^;)
同時に京王線は、痴漢の検挙率第1位ということも書かれていました。検挙率第1位ということは、京王線にはそれだけ痴漢が多いということ? ではないだろうと、思います。首都圏近郊を走る私鉄、JRを含めても、京王線が痴漢列車だという話は聞いたことがないので。痴漢列車という汚名は、東上線とかJR総武線とかいう話を耳にしたことがあります。違っていたら、ごめんなさいm(_ _)m
痴漢の数がナンバー1ではないけれど、お縄にしてるのがナンバー1ということですね。確か「女性専用車両」を最初に導入したのも京王線だったと思います。ある意味、女性に優しい電鉄会社を目指しているのでしょうか。若い女性にとっては、ありがたいことですね。私はいまは通勤時間に電車に乗ることはめったにありませんが、朝っぱらから痴漢騒ぎは過去に何度も見聞き、体験してきました。まったく、冗談じゃない!という感じです。痴漢は犯罪ですよ!と、最近はポスターにも書いてありますね(笑)
いろいろな方法で、痴漢撲滅のために電鉄会社が努力するのはいいことですね。京王線、大好きです(^_^;) しかしながら、その前に、痴漢をするような輩は何を考えているのでしょうか。顔を洗って出直して来い! とか、オトトイお出で! とか、言いたくなりますね(^_^;)
2011/02/15 (火)
大雪!
夕べ、霙から雪になりかかりの時間に帰宅し、「寒い! 寒い 寒い!」と叫んで、家の中で丸まっていました。窓からはコンコンと降る雪の花びらが見え、どうやら屋根が重くなっているようです。オンボロの家はミシミシッ(笑) 空気が乾いていたので、お湿りはありがたい。降るなら雨より、雪が美しい……などとほざいているうちに、とんでもなく積もったようです。東京では、雪がセンチを数えれば、もう「とんでもなく」大雪ですから(笑)
朝起きてみると一面の雪景色。雪国と違って層が薄いので、下の汚い色が見え隠れしているところが哀れですが、それでも雪景色は雪景色! 通勤や通学の方々は難儀なことでしょうが、私は、本日、久しぶりの寝て曜日で、ぬくぬくと暖まりながら窓から雪景色を楽しんでいました。気温が高くなり、雪景色が長持ちしないのは残念ですが。夜になると雪の上を吹き抜ける風が冷たくなりそうです。
朝起きてみると一面の雪景色。雪国と違って層が薄いので、下の汚い色が見え隠れしているところが哀れですが、それでも雪景色は雪景色! 通勤や通学の方々は難儀なことでしょうが、私は、本日、久しぶりの寝て曜日で、ぬくぬくと暖まりながら窓から雪景色を楽しんでいました。気温が高くなり、雪景色が長持ちしないのは残念ですが。夜になると雪の上を吹き抜ける風が冷たくなりそうです。
2011/02/14 (月)
旅館明治
湯村温泉は、井伏鱒二や太宰治など、多くの文人が滞在したことでも知られています。私たちが泊まった「旅館明治」は、まさに太宰治が滞在していた宿で、2階には小さなものではありますが、「太宰治資料館」という展示室が設えてありました。太宰治が初めて湯村を訪れたのは、1938(昭和13)年に甲府で見合いをし、結婚した翌年、甲府に新居を構えてからのことだそうです。
小説「美少女」は甲府の新居で「明治温泉」をモデルにして執筆されたもので、『湯村の大衆浴場の前庭にはかなり大きい石榴の木が在り、かっと赤い花が満開であった』というくだりの「明治温泉」が「旅館明治」であるそうな。太宰は東京に移転した後、たびたび湯村にやってきて、この旅館に滞在したそうで酢。そして、1942(昭和17)年2月中旬から下旬まで「旅館明治」に滞在したときに、「正義と微笑」を執筆。翌年3月中旬には「右大臣実朝」を執筆したとか。当時、湯村温泉はいくつかの源泉をはさんで10軒ほどの旅館が建てられていたといいます。
実は、そんなことはちっとも知らずに「旅館明治」に泊まったのですが、「明治」という名称からして、古い宿なのではないかと思っていました。確かに、明治時代から営業しているそうです。何度か改葬されているようですが、廊下や階段が磨きこまれた木製であるのにちょっと感動。古びた感じはしませんが、階段や踊り場にの広さに古き良き日本家屋というのか、和風旅館の趣があります。
太宰治が滞在した部屋も残されているそうですが、私たちはあいにく?その部屋に泊めてもらうことはできませんでした(笑) 新館もありますが、ちょっとわがままを言って、古いほうの部屋に泊めてもらうことに。窓枠などは年代物で、隙間風が入らないとはいいませんが(^_^;)、部屋は広くて、次の間もついており、おっきな暖房器具が設えてあります。明治とはいわないまでも昭和の香が漂う、なかなか居心地のいい部屋でした。たぶん近年に改造したのでしょう、よく椅子とテーブルがちょっと置いてある張り出しのようなところの隅に、ちゃんと洋式トイレもついていました(^_^;)
お祭りとあって、泊り客はたくさんいたのですが、部屋や廊下などが広々としているせいか、外の喧騒とは裏腹に静か。ましてや昭和初期、ここなら太宰治も落ち着いて執筆することができたのではないかと思われます(笑)
小説「美少女」は甲府の新居で「明治温泉」をモデルにして執筆されたもので、『湯村の大衆浴場の前庭にはかなり大きい石榴の木が在り、かっと赤い花が満開であった』というくだりの「明治温泉」が「旅館明治」であるそうな。太宰は東京に移転した後、たびたび湯村にやってきて、この旅館に滞在したそうで酢。そして、1942(昭和17)年2月中旬から下旬まで「旅館明治」に滞在したときに、「正義と微笑」を執筆。翌年3月中旬には「右大臣実朝」を執筆したとか。当時、湯村温泉はいくつかの源泉をはさんで10軒ほどの旅館が建てられていたといいます。
実は、そんなことはちっとも知らずに「旅館明治」に泊まったのですが、「明治」という名称からして、古い宿なのではないかと思っていました。確かに、明治時代から営業しているそうです。何度か改葬されているようですが、廊下や階段が磨きこまれた木製であるのにちょっと感動。古びた感じはしませんが、階段や踊り場にの広さに古き良き日本家屋というのか、和風旅館の趣があります。
太宰治が滞在した部屋も残されているそうですが、私たちはあいにく?その部屋に泊めてもらうことはできませんでした(笑) 新館もありますが、ちょっとわがままを言って、古いほうの部屋に泊めてもらうことに。窓枠などは年代物で、隙間風が入らないとはいいませんが(^_^;)、部屋は広くて、次の間もついており、おっきな暖房器具が設えてあります。明治とはいわないまでも昭和の香が漂う、なかなか居心地のいい部屋でした。たぶん近年に改造したのでしょう、よく椅子とテーブルがちょっと置いてある張り出しのようなところの隅に、ちゃんと洋式トイレもついていました(^_^;)
お祭りとあって、泊り客はたくさんいたのですが、部屋や廊下などが広々としているせいか、外の喧騒とは裏腹に静か。ましてや昭和初期、ここなら太宰治も落ち着いて執筆することができたのではないかと思われます(笑)