今日は停電回避
今日は、私の住む地域では停電が回避されました。防災無線が18時20分に停電の予定とアナウンスしたので、早めに夕食を済ませ、今日はお風呂はお休みと決め、ベッドに入り、ローソクに火を灯してスタンバっていました。10分後くらいに再び防災無線が、この地域での停電は回避されましたと伝えてきました。朝からいろいろな地域が順番に停電している状態なので、回避されたからといって大いに電気を使っていいというわけでもないでしょうから、そのままスタンドだけをつけて本を読んだり、半分、寝たり(笑)
夜間電力には多少余裕はあるようなので、23時を過ぎてからPCのスイッチを入れて、メールの処理などをしています。めちゃめちゃストレスをためている海老名から一緒に歩いた友だちから電話があり、「たまには声を聞きたかった〜」と。まあ、長話するってわけにもいかないので、交通機関がもう少し回復したら、どこかで会おうという話をしました。そう遠いところに住んでるわけでもありませんが、自転車じゃちょっと無理な距離なので。海老名から歩いたことを考えれば、可能ですけど、さすがにねぇ(笑)
道路を歩いていたら、ほころび始めた寒緋桜の写真を撮っている人がいました。見上げれば、もう濃いピンクの花がもうたくさん咲いています。今日は冷え込んでいますが、春は近づいてきているのですね。桜の花を見上げる余裕を失っていたことに気づきました。これから先、何が起こるかわからないし、いつまで続くかもわかりませんが、花を愛でる余裕ぐらいもとうよ、と、私も写真を撮ってきました。落ち着け、落ち着け(^_^;) 東京でも毎日、揺れるし、ガソリンスタンドは全部閉店しているし、「物がない!」ということばかりが話題になるので、やっぱり私もミニパニックになっていたのかもしれません。被災地に比べれば、天国みたいなものなのにね。
今度は、静岡ですか。もう、やめてほしいよね、本当に!
電池、いただきました
新宿あたりの家電量販店なら電池が残っているかなというかすかな希望ももっていたのですが、店頭には「単1、単2、携帯ラジオ、懐中電灯はすべて売切れです」と表示されていました。そうでしょうねぇ(-_-;) 昨日のうちに完売だそうです。都営地下鉄の小川町を降りてからも、通りがかりのコンビニなどをのぞいてみましたが、やはり電池は売り切れ。でも、都内は住んでいる人が少ないせいか、食糧に対する危機感は小さいようで、食品棚にはまだ商品が並んでいました。
お豆腐やさんに「困ってることない?」と聞かれ、「電池が……」と言って、自分の無用心を笑ったつもりだったのですが、「ちょっと待って」と言って、自転車に乗ってぴゅーっと消え、すぐにぴゅーっと戻ってきて、「友だちのところに買い置きがあるから、すぐもってきてくれるって」という間もなく、そのお友だちが現れて、単1を4個差し出してくれました。そして、代金もいらないといって、そのお友だちもぴゅーっと消えました。行動力、親切心、そしてそのネットワーク、神田っ子はやっぱりすごい! 思わず、後姿に手を合わせてしまいました。
そして、「救援物資」といって、厚揚げもいっぱい包んでもらい、えっちらおっちらを持ち帰り、今度は障害者でちょっと機敏に動きにくい友だちのところへ「救援物資」として運搬。すると、「ちょっと古いから使えるかどうかわからないけど」と言って、やはり単1を4個差し出されました。こっちは同じ区域だから、停電もありです。「他でもらったから」と言っても、前から買い置きがけっこうあるからと持たせてくれました。いっきに電池成金(笑) ありがたいことです。
私の地域は今日は停電はありませんでした。近所の友人が、「東電がなるべく停電させないように努力してるのはわかるけど、2時間や3時間の停電で死にはしない。こっちは覚悟してるんだから、止めるときは止めて、優先度の高いほうへ回せ!」と言っていました。ある意味、「カモン停電」。水もご飯もあるんだから、電気なしに耐えることで少しは役に立てるなら、と。それはその通りだなぁ〜。電車が止まるのは困る人が多いかもしれないけど。計画停電が発表されて、有事感が実感として高まってきた感じです。
食べ物が……ない?
友だちにこの状況をメールしたら、「当然でしょ! 大きな余震が来るかもしれないって言われてるのに!」と、返って怒られてしまいました。冷凍食品や肉を大量に保存しても、停電するって言ってるけど? 先日、冷凍庫内で食物を解氷させちゃったばかりのばかりの私は、買いだめには懐疑的です(-_-;) それに本当に食糧を必要としている人は他にたくさんいるんじゃないのかなぁ。とりあえず、空っぽだった我が家の冷蔵庫を満たすものだけを買って帰ったところに別の友人から電話。築地市場に勤めている人から、北からの魚の供給がないので築地にもろくに売るものがないようだと言われたと。大田のやっちゃばにも野菜がないらしいよ、と。ええーっ? どうも物流に停滞が出ているとようだとか。
ただねぇ、こういうのは噂が噂を呼び、ミニパニックになってる可能性が高いのではないかと思うのですよ。むかしトイレットペーパー買い付け騒ぎなんていうのもあったじゃないですか。なんか、日本人らしいなぁという感じ(^_^;) そりゃ、北から魚は入ってこないかもしれないけど、他の物は西から入ってくるでしょう。まあ、当面、食べるものはあるし、静観しましょうか。
などと言っているうちに、本当に停電が決定。懐中電灯はあったけれど、ずいぶん長期間使っていなかったので、バッテリーがアウトでした。コンビニと24時間営業のスーパーに行ってみたけど、電池なんかひとかけらもなかった〜。そりゃ、そうですね。みんな考えることは同じ……。日頃の用心のなさがこんなところで露呈しました。単3や単4なら山のようにあるのに。まあ、ローソクは仏壇に売るほどあるし、蛍の光、窓の雪といきましょう。東京じゃ、どっちもないか(^_^;)
街が消えた……
東京でも頻繁に余震が感じられますが、地面が揺れるということに「慣れる」ということはありませんね。グラッとするたびにヒヤッとします。長岡の友人から「無事メール」が来ましたが、中越地震を経験したために、逆に今度のグラッは倍怖かったと言っていました。夜は服を着たまま寝ているそうです。
9時間に及ぶ徒歩・バス・徒歩みたいな昨日の影響で、今日はぐったりしていましたが、このサバイバル帰宅で、無縁社会と言われながらも、こういう境遇を共有すると、人は励ましあったり、支えあったりできるんだなと思いました。同じ方向に歩きながら、あるいはいつ来るかわからないバスを待ちながら、トイレの行列の中で、「どうすれば、より早く、楽に目的地につけるか」という知恵を出し合い、道やバスの情報を教えあい、なんだか不思議な連帯感が生まれていました。名前も知らない人だけど、別れるときはお互いに「気をつけてね、頑張ってね」と言い合うような。
かと思えば、「俺は無事だったし、世間のことは関係ねぇ」とばかり、友人の安否なんかまったく気にしない人もいるんですよね(^_^;) 被災したら、いまは忙しいだろうから、そのうち連絡がくるだろう……なんて。世の中には自分のことにしか関心のない人もいるんですよねぇ、気がついてはいたけれど(笑) まあ、関心をもったって、自分はなんの力にもなれないってのも事実といえば事実ですけど。
帰宅難民
おさまったようだったので、とりあえず寒川神社へ。神主さんや巫女さんも境内に出て来ていましたが、状況がわからず、冗談を言いながら……という余裕で。お参りをすませ、今度は宮川という駅へ向っている途中で第2波。電線がバウンドしている感じで、近くのお店の人が「電線の下は危ない」と空き地に誘導してくれました。おさまってから、駅まで行ってみると、電車は全線不通になっていました。小さな駅で、まったく情報が入らず……。といったところに、海老名まで行くという人を乗せたタクシーが通りかかり、お願いして、相乗りさせてもらいました。大きな駅に行けば情報が入ると思ったのですが、あとから考えると、このタクシーに乗せてもらえたのは僥倖!でした。宮川から海老名まで20キロぐらいあったようなので。
海老名駅は、駅前の消火栓が破裂して、泡だらけ。一瞬、海老名だけ、局地的に雪?という感じでした。小田急線は5ヵ所以上で以上が発見されたとか言っています。これは歩いたほうがいいなと思ったのですが、相模鉄道が1時間ぐらいで動くとかいうガセネタに連れがだまされ(笑)、ちょっと待ってしまったのですが、45分後にやっぱり動かないという訂正が入り、「とにかく歩くぞ!」と。まずコンビニに寄って、飲み物とおにぎりを確保。バスは動いていたので、尺取虫のようにバス・徒歩・バスのようにつなげないかと考えたのです。実際は、バスに乗れたのは、座間から相武台下まで1区間だけ。連れは中央林間に住まいがあるので、途中で別れ、私はついに町田まで歩きました。
携帯電話はまったく使用不能。たまにメールだけ、奇跡的に1通ぐらい飛び込んでくるぐらいで。途中、公衆電話から自宅に電話し、とりあえず、周辺に被害のないことを確認し、自分の置かれている状況を報告。道に出ていた警備員の方に、町田で自転車を買ってはどうだろうとアドバイスされましたが、町田駅周辺の店は全部、閉店になっていました。町田駅近くにクルマを持っている友人がいるので、公衆電話に30分も並んで家電に電話をしたら……、留守電になっていました(-_-;) この人も帰宅難民中でしょうかねぇ。
駅の交番で鶴川行きのバスがあることを聞き、鶴川からなら京王線に繋ぐバスもあるというので、とりあえず、バスの行列に加わり、やっと乗れたバスで鶴川を目指しました。町田〜鶴川は、電車なら2駅ですが、近辺が停電になっていて、信号が消えていたこともあり、大渋滞で2時間近くかかっている模様です。その上、乗ったバスに病人が出てしまい、途中で止まって救急車を呼ぶと……。鶴川まで歩いて20〜30分の位置だといわれ、道を知っているという乗客の人を先頭に、みんなでゾロゾロ。鶴川に着いたときには、終バスの時間は過ぎていましたが、2時間以上遅れているので、バスは来るはず、と並んでいる人に聞き、列の後に並びました。この頃、京王線が再開したという情報が入ったので、このバスが来てくれれば、帰れる……。あ、来たー!
京王永山駅から電車に乗りました。京王線は、各駅停車のみ、それも徐行運転で時間はかかっていましたが、「ご迷惑をおかけしております」と何度も謝ってくれなくてもいいです(^_^;) 京王線が悪いわけではなく、走らせてくれているだけで、こっちとしてはありがたいんだから。しかも改札をオープンにして、タダで乗せてくれてるんだし(笑) そんなこんなで、家にたどりついたのは午前1時を回っていましたが、とりあえず、帰ってくることができました。たまたま万歩計をつけていたのですが、歩数は5万3,000を超えました(-_-;) バス停で一緒に並んでいたオジサンに、「ゴルフなら5ラウンドぐらいしたんじゃない?」と言われました(^_^;) 普段、あまり家から出ないので、まさか自分が帰宅難民の一員になるとは予想していませんでした。なかなか受信しなかったのですが、いろいろな人が心配メールをくれていて、ありがたいことです。北日本の惨状をみれば、何時間かけても、とりあえず、無傷で帰って来られたことに感謝しなくては。