丹波の枝豆
ところがこの叔父の姉である我が母親は、本当に味オンチの料理オンチ。枝豆=茹でる、という方程式しか持ちません。せっかくの枝豆を、ただただハサミで切って、温度も塩分も茹で時間も考えず、私のいない間に粗雑に茹でてしまいました! 私は思わず悲鳴をあげましたが、とき、すでに遅しというわけで(-_-;) 全部でなかったのが幸いですが……。
叔父はグルメで料理上手。私はグルメではなく、料理も普通にしかできませんが、一応、何かを作るときは、どうすればおいしいものが作れるかくらいは考えます。そういう意味では、普段から料理にも食べることにも、あまりに無神経な母親は、同じ血が流れているとは思えません(笑) 兄弟姉妹といっても、ずいぶん違うものですよねぇ。なにかDNAの一部が突然変異を起こしているとか……。
玉川上水
先日、吉祥寺から歩いたときに、いつも通っているバス通りばかりでは芸がないと思い、少しだけ、玉川上水に沿って歩いてみました。玉川上水は、鬱蒼と木々が繁っていて、水面も見えないくらい。いまでは、太宰治でもここに「飛び込んで死ねるとは思わないだろうなぁというくらい小さなせせらぎとなっています。この水が、かつては江戸の市民の喉を潤したのだとは思えないような流れです。昔はもっと水量が豊かだったのでしょうね。保護されているようで、その川幅と土手だけではあるものの、手つかずの自然が残っています。
それにしても、ブルドーザーもショベルカーも使わずに延々掘り進んだと思えば、たいした川幅だとも思えます。いったいどれだけの人の手がかかっているのでしょうか。江戸時代は、日本史の中ではもっとも人間のサイズが小柄だったといわれますが、働き者で、元気いっぱいだったのでしょう(^_^;) もともとは43キロあったそうです。いまでは暗渠になっているところも多く、都心部では面影を偲べるところはあまりないようですが、多摩地区には風情を残しているところがかなりあり、吉祥寺近辺もその一つ。住所でいえば、三鷹市になるのでしょうか。
井の頭公園から三鷹駅方面に向って逆流すると、すぐ近くに「山本有三記念館」というのがあり、「路傍の石」もちゃんと設置されていました(^_^;) 1931(昭和11)年から、1946(昭和21)年まで山本有三が暮らした家を、三鷹市が記念館にしたそうです。大正時代の建築だという家は、モダンでなかなか美しい建物でした。時間が遅かったのと、まあ、正直、山本有三にそう興味もなく、お庭だけ拝見してきました(笑) 入館料300円を惜しんだりして(^_^;) 塀は新しく作られたものでしょうが、なかなかおしゃれで人目をひきます。
ホームパーティ
集ったのは、家主を入れて7人。いろいろな職業、年齢、経歴の持ち主ばかりで、さまざまなお話を聞くことができました。いま、仙台から帰ってきましたというNGOの方からは、南三陸町のいまを。やっぱりマスメディアの報道だけではうかがい知れない苦労や障害があるようです。ボランティアの多様性や、ボランティアで人生観が変る話など、興味深いお話がいっぱいありました。
英語の先生や整体師さん、学生さんもいて、話はあっちへ飛び、こっちへ飛び、二手に別れ、また合流し……、これがホームパーティの楽しさという感じ。最後には、大学院生のおにいさんが洗い物を一手に引き受けてくれたので、オバサンはラクチンでした(笑) うちなんか、なんだか物がごちゃごちゃ置いてあって、とても人様をお招きできる状態ではありません。「ホームパーティが開ける暮らし」というのは、うらやましいかぎりです。
秋の足音
昨日は病院に早く着きすぎるやら、途中の待ち時間があるやらで、周辺を1時間以上、歩き回りました。三鷹市。この辺は、多摩地区というよりは、緑は多いものの東京24区か、25区かというイメージです。ところが、はずれのほうを歩いてみると、生産緑地、つまりは畑がけっこうたくさん残っていて、驚かされます。切り取ってみれば、田園風景という感じですが、実はこの脇は片側3車線の広い道路が通っていて、クルマがびゅんびゅん。そして、柿がたわわに実っていたり(^_^;)
「ためしてガッテン」が、大股で歩けと教えてくれたので(笑)、さっさか歩き、汗をかき、かなり広範囲を動き回った感があります。その結果、今朝、起きたら思いっきり筋肉痛でした(-_-;) 普段から、けっこう歩いているつもりなのですが、思ったよりちょこまか歩きだったようです。大股で歩くのが、こんなにキクとは思いませんでした。
そして、本日は、吉祥寺に行く用事があり、筋肉痛には筋肉痛返し???という感じで、無理やり足を使って、井の頭公園を横断し、さらに1時間近く歩くという暴挙を重ねました。ついこの間までは、木陰がうれしい井の頭公園でしたが、もうすっかり秋の気配が漂っています。紅葉した葉もあり、葉を落とした木もあり……、スケッチをしている人を何人か見かけましたが、そう、なかなか「絵になる」風景かもしれません。
公園を通り抜け、家まで歩ききるには遠すぎるので、バス通り沿いを歩き、「もうダメだ〜」というところのバス停の椅子に座り込んで、次に来るバスを待ちました。バスに乗って座席に座り、家の近くの停留所で降りようとしたら……、足が棒状になって、うまく歩けませんでした(笑) ギクシャク、ギクシャク。一度、座ってしまったからいけないんですねぇ。いっくらなんでも、2日間続けてロングウォークは無謀でした。明日は、起き上がれるでしょうか(^_^;)
カンファとやら
生体内に異物が入り込んだ際に、それに対する防御反応として炎症が起き、その結果、異物の刺激を和らげるために異物を「隔離」してしまえばよいというわけで、肉芽腫が形成されるとのこと。この「異物」 が1年前のサボテンだったとは、「仏様でも知りますめぇ」という感じですよね(笑) 我ながら、よく思い出したというべきか(^_^;)
今日の予約は外来受付が終了して3時間後の午後3時。待合室にいたのは、私ともうひとり男性のご老人のふたりきりでした。名前を呼ばれて診療室に入り、片肌脱いで……というお姐さん状態で、「別の先生も診ますので、よろしいですか?」と言われました。ダメとは……、言えないでしょう、普通(笑) すると、ゾロゾロと10人ぐらいのドクターが登場。別の先生ではなく、別の先生方、ですよねぇ。
テレビの医療ドラマではおなじみ、入院している人をお見舞いに行ったときにもずいぶん見かけました、例の、教授を先頭にした大名行列。しかし、「が、外来でぇ〜?」という感じでした(笑) 私とおじいちゃま、今日のモルモットは2匹ですね。これがカンファとやら。さすが、大学病院という感じです(^_^;) 次々に患部をルーペでのぞきこみ、「触っていいですか?」と。そして、同じことを何度か聞かれ(-_-;) まあ、いいですけど、変なサボテンを持ち込んだのは私ですから(笑) 40分後に再び呼ばれ、結果発表です。
最後に担当医から、「1年後に炎症を起こすのは、免疫がかかわっている可能性が高いのですが、痒みが出た時期に風邪を引いたりしませんでしたか? なにかウィルス性のものに感染した可能性は?」と聞かれましたが、トンと覚えがありません。普通の生活していたと思うのですが……。それでも、免疫の異常を否定しきれないので、3ヵ月に1回、しばらく採血を続けましょうとのこと。痛いとか、苦しいとかじゃなければ、医者にはかかりたくない主義なのですが……、しっかり次の採血と受診の予約を入れられました(-_-;)
なんか、痒いで医者にかかっているなんて……、カッコ悪い感じですよねぇ(笑) そういうわけで、ご心配いただいたみなさん、ありがとうございます。お騒がせしました。無事です。大山鳴動、ありんこ1匹という結果です(^_^;)