自転車ネズミ捕り?
その道路沿いの建物の陰とか、ちょっとした空き地になっているところに自転車の警察官が立っているのを何組か見かけました。何組かというのは、たいていふたり連れだから。なにか事件でもあったのかなぁと思いましたが、緊迫した雰囲気はなく談笑している方々も。「あ、もしかしたら、自転車のネズミ捕り?」と思い当たったのでありました。
このところ、連日、テレビの報道番組などで「危険な自転車」の特集が組まれ、警察が取締まりを強化している……なんて言っていますから、これかな?と。自転車は原則、歩道を走っちゃいけないとのことですが、この道路の歩道は自転車可だったかしら? 私はほとんど自転車に乗らないので、気にしたことはありませんでした。
もしかして不可であったら、可であってもスピードを出しすぎであったら、ここで取締まられることになるのでしょう。たぶん、お説教ぐらいだと思うのですが……。それにしても、広い歩道で、ほとんど歩いている人を見かけないところです。問題になっているのは、繁華街や通勤通学路で、人と自転車が入り乱れているところではないのかしら? こんなところで取締まってもねぇ(笑) まあ、取締りかどうかも聞いてみたわけではないので、わかりませんが。
クルマの経験から考えると、スピード違反や駐車違反などは、必要なところでは放置され、「こんなところで?」というところで厳しい〜取締りが行われている場面をよく見かけるもので(^_^;)
私も自転車には乗れるのですが、めったに乗らないので運転はヘタ。怖いので歩道を走りたいほうです。怖いといえば、クルマを運転しているときに自転車の挙動は、自分が自転車に乗っているときより怖いです。取締りもけっこうだし、自転車は車両だという意識を強化するのも必要でしょう。しかし、歩行者と車両という区分だけではなく、自転車専用レーンを作ってくれるのが一番の解決法ではないかと思いますねぇ。
木枯らし1号
これから東北の被災地は、いちだんと厳しさが増しますねぇ。仮設住宅は、映像で見るだけでも寒さには悩まされそうな作りです。ところで、今日は「原子力の日」でもあるのですね。原子力は、クリーンで安全でコストも安い、非の打ちどころのない電源でアールと広く宣伝するために作られた日なのでしょう。今年は、そのことにはひと言も触れない1日となりました。それは、当然ですけど。
なんだかねぇ、気温が低くなるにしたがって、心も寒くなるような、そんな日本の将来像しか浮かびませんね、いま。
丹波の枝豆
ところがこの叔父の姉である我が母親は、本当に味オンチの料理オンチ。枝豆=茹でる、という方程式しか持ちません。せっかくの枝豆を、ただただハサミで切って、温度も塩分も茹で時間も考えず、私のいない間に粗雑に茹でてしまいました! 私は思わず悲鳴をあげましたが、とき、すでに遅しというわけで(-_-;) 全部でなかったのが幸いですが……。
叔父はグルメで料理上手。私はグルメではなく、料理も普通にしかできませんが、一応、何かを作るときは、どうすればおいしいものが作れるかくらいは考えます。そういう意味では、普段から料理にも食べることにも、あまりに無神経な母親は、同じ血が流れているとは思えません(笑) 兄弟姉妹といっても、ずいぶん違うものですよねぇ。なにかDNAの一部が突然変異を起こしているとか……。
玉川上水
先日、吉祥寺から歩いたときに、いつも通っているバス通りばかりでは芸がないと思い、少しだけ、玉川上水に沿って歩いてみました。玉川上水は、鬱蒼と木々が繁っていて、水面も見えないくらい。いまでは、太宰治でもここに「飛び込んで死ねるとは思わないだろうなぁというくらい小さなせせらぎとなっています。この水が、かつては江戸の市民の喉を潤したのだとは思えないような流れです。昔はもっと水量が豊かだったのでしょうね。保護されているようで、その川幅と土手だけではあるものの、手つかずの自然が残っています。
それにしても、ブルドーザーもショベルカーも使わずに延々掘り進んだと思えば、たいした川幅だとも思えます。いったいどれだけの人の手がかかっているのでしょうか。江戸時代は、日本史の中ではもっとも人間のサイズが小柄だったといわれますが、働き者で、元気いっぱいだったのでしょう(^_^;) もともとは43キロあったそうです。いまでは暗渠になっているところも多く、都心部では面影を偲べるところはあまりないようですが、多摩地区には風情を残しているところがかなりあり、吉祥寺近辺もその一つ。住所でいえば、三鷹市になるのでしょうか。
井の頭公園から三鷹駅方面に向って逆流すると、すぐ近くに「山本有三記念館」というのがあり、「路傍の石」もちゃんと設置されていました(^_^;) 1931(昭和11)年から、1946(昭和21)年まで山本有三が暮らした家を、三鷹市が記念館にしたそうです。大正時代の建築だという家は、モダンでなかなか美しい建物でした。時間が遅かったのと、まあ、正直、山本有三にそう興味もなく、お庭だけ拝見してきました(笑) 入館料300円を惜しんだりして(^_^;) 塀は新しく作られたものでしょうが、なかなかおしゃれで人目をひきます。
ホームパーティ
集ったのは、家主を入れて7人。いろいろな職業、年齢、経歴の持ち主ばかりで、さまざまなお話を聞くことができました。いま、仙台から帰ってきましたというNGOの方からは、南三陸町のいまを。やっぱりマスメディアの報道だけではうかがい知れない苦労や障害があるようです。ボランティアの多様性や、ボランティアで人生観が変る話など、興味深いお話がいっぱいありました。
英語の先生や整体師さん、学生さんもいて、話はあっちへ飛び、こっちへ飛び、二手に別れ、また合流し……、これがホームパーティの楽しさという感じ。最後には、大学院生のおにいさんが洗い物を一手に引き受けてくれたので、オバサンはラクチンでした(笑) うちなんか、なんだか物がごちゃごちゃ置いてあって、とても人様をお招きできる状態ではありません。「ホームパーティが開ける暮らし」というのは、うらやましいかぎりです。