ドングリと雲
週末はずっと雨というような予報だったのに、今日は予想に反していいお天気になりました。昨日は出かける予定をキャンセルして、じっと家に閉じこもっていたので、空を見て昨日の予定を今日実行。多摩ニュータウンまで出かけていきました。単に、クルマ屋さんに名義変更の書類を持って行っただけなんですけど(^_^;)
クルマ屋さんに行くのに、クルマはやめてバスに乗り、ちょっと手前で降りて散歩。何か落ちてないかと下ばかり向いて歩くクセがあり……、見つけたのはドングリでした。歩道にいっぱい! この辺りは街路樹がドングリなのですね。はて? ドングリの木ってことはないですよね? ブナ、でしょうか? クヌギ? こんなにたくさんあるのだから、山の熊さんは市街地を荒らさず、ここに来れば……と思ったら、ここも住宅地でした。熊さんなんか現れたら大騒ぎになってしまうことでしょう。でも、もったいない。山の熊さんに宅配便で送りましょうかね?
ばかなことを考えながら用事を済ませ、お日様が傾きかかった頃、再びバスに乗って帰ってきたのですが、車窓から見た雲が壮絶……。左側の窓からは青空が見えるのに、右側の窓にはもくもくの黒い雲が。それもかなりのスピードで形を変えていきます。あまりに不気味なので、思わずカメラを取り出し、シャッターを切ってみたのですが、写真からは肉眼で見たほどの不気味さは伝わってきません。やっぱり、人間の眼ってすごいものですねぇ。
電車に乗り継ぎ、駅から出てくると、日はだいぶ落ちていましたが、やはり不思議な形の雲がムクムクしていました。また地震でもくるんじゃないの?と思わされるような……。世界で、こう、天変地異が続くと、雲ひとつ見ても嫌なことを発想してしまいます。くわばら、くわばら。
そして、今日は日本シリーズの最終戦だったのですね。ホークスファンにとっては、不思議な雲は吉兆だったのかも(笑) 周囲に数人のホークスファンがいるのと、大好きな多村選手がいるので、私も一応、今回はホークス贔屓。久しぶりの日本一、おめでとうございます! 長いこと辛抱しましたものねぇ。私たち、もっと長いこと辛抱してるけど(-_-;)
「マネーボール」
MLBにはあまり興味はないので、野球の映画だからみたというわけではないのですが、あちらのベースボール業界というのは、アメリカが凝縮されているという感じをうけました。これは野球の映画というより、経済と仕事の映画ですね。統計とか、その解析というもののおもしろさをみせてもらったかんじです。
MLBでは、GMというのは、本当に球団の総責任者なのだということもよくわかりました。経営からグランドレベルまで、すべてに権限をもっているということが理解できます……でも、試合は見ない(笑) これまでのアメリカン・ドリームとはひと味違うアメリカン・ドリームという感じで、おもしろかったです。
今日は何かの騒動の中心人物であった某清武さんとやらがクビになったようですが、日本では、結局、GMって何をやる人かよくわからないんですよねぇ。アスレチックスのビリーと同じようなことをやっているとは思えないし……。我が愛する某最弱チームにも、あーゆー豪腕のGMでもきてくれないかしら? スター選手がいなくてもいいから、みんなで力を合わせて勝ちをとるチームにしてほしいなぁ〜、とか(笑)
「縁結神社」
長野から、スキーインストラクターをやっている友人が仕事で東京に来て、午前中で仕事が終わるから昼飯を付き合えと呼び出されました(笑) 観光協会の仕事をしているので、たまに東京へもお出ましになりますが、今回はけっこう久しぶりでした。昨年はスキー場関係の仕事をしていたのですが、今年は「木祖村」というところへ、単身赴任で出向だとか。村の観光資源をどう売り出すかということに苦心しているようです。
木祖村は、奈良井宿の近くで、長野県といっても四捨五入すれば岐阜県みたいな(^_^;) 県境が四捨五入できるかどうかは知りませんが、文化圏としては中京ゾーンに属するようです。写真を見せてもらっただけですが、自然がたっぷり、清流があり、紅葉も美しいところのようです。それはもう、「木曽路はすべて山の中である……」ですから(笑) 島崎藤村の時代に比べれば、ずいぶん開けちゃったとは思いますが。
ここに「縁結神社」という神社があります。日本にあまたある神社の中でも「縁結」をストレートに命名しているところはここだけとか。さまざまなご縁が結べるというパワースポットとして、知る人ぞ知る!という場所になりつつあるのだそうです。さっそく訪ねてみたい……とはいえ、関東からはやはり遠い……。行くにはちょっと気合が必要ですね(^_^;)
「これ、やるから大事にしろ」と手渡されたのが、宮司さんが祝詞をあげてくれたというご縁のお守り。五円です(^_^;) 「大きなお世話じゃ〜!」といいながらも、シンプルで可愛いので、お財布の中にしまっておくことにします。なんかのご縁があるといいですねぇ(笑) 本当に景色の美しいところのようで、本当に何かのご縁があれば、行ってみたいものです。
また人身事故で
基本的に急ぐ旅をしているわけではないので、足止めをくらってイライラするというよりは、ああ、またひとり、生きていけなくなっちゃった人がいるのだなぁと身につまされます。年間の自殺者が何万人というこの国の状況ですから、電車に飛び込んじゃった人に遭遇する確率だって、上がろうというものです。実際に自分の乗っていた車両がかかわった事故は1回だけですが……。毎日、電車に乗ってもいない人間が1回でも遭遇するということ自体、やはり頻度の高い証しかなぁとも思います。
ここのところ、顔を知っているという人々がふたり、やはり自分から命を絶ちました。中高年の自殺者が多いのではないでしょうか。高齢者はますます長生きになって、その子ども世代が50、60代。今日、50代半ばの知り合いから電話がかかってきて、「介護はのしかかってくるし、この先の生活の展望は立たないし、何か新しいことを始めるには体力も気力もなく……。死にたくなる人の気持ちはよくわかる」と言っていました。生きにくい世の中なんですよねぇ。なんとかならないものでしょうか?
赤信号ひとりで渡れば?
私が毎日のように通る道に、幹線道路を渡る信号があります。下り車線には3色信号のほかに右折信号がついています。しかし、上り車線には右折信号がありません。右折して入る道路が細いのでめったにクルマも通らないのです。ところが、この下り車線の右折信号が点ったとき、右折信号のない側の歩行者信号は赤のまま。車両が信号を守っていれば、どう考えても、このときこの横断歩道を通過するクルマはないという構造になっているはず。
で、私は右折信号が点れば、上り車線のクルマが停止したのを見極めると、さっさと渡ってしまいます。さっさと渡る人は、私を含めて、いつもひとりか、ふたり。あとの方々は、つられて渡りそうになっても信号を見て、引き返したりします。クルマや、昨今は自転車でも、車両と言われるものは止まってもらわなければ困ります。もし、人と接触したら、ダメージが大きすぎるから。それにおまわりさんに見られたら罰金も待っていますしね(笑) しかしながら、人は?
左右を見渡して、見渡す限り1台のクルマも見えないのに、それでも赤信号で立ち止まっていなければいけないものでしょうかねぇ。赤信号は、危険を防止するためにあると思うのですが、危険のないような場合でも守らなければならないルールなのかどうか、とっても疑問です(^_^;) お上の命令には絶対服従?