疲れてる?
歯医者さんのあと、同じ医院にかかっている先輩と待ち合わせて飲みに行きました。そして、帰り。そんなに遅い時間でもないのに新宿駅で扉が閉まる寸前に覚醒。飛び降りて九死に一生を得た感じでした(笑) そのまま乗っていたら、青梅行き。三鷹辺りで目覚めれば、まだ救えましたが、青梅まで行っちゃったとしたら……、帰れなかったかも(-_-;)
乗り越すほど電車で寝てしまったのは初めての体験で、ひょっとして私は疲れているのだろうか?と思いました。自覚のないところがさらに怖ろしい……。しばらくは都会に出るのはやめようかな(笑)
「ピラミッド 5000年の嘘」
映画は何も示唆していませんが、どうしたって宇宙人説に行ってしまいます。いや、示唆しているのかな?(笑) かつて、地球という星には巨大な知的生命体がいて、ピラミッドの石なんか、ひょひょいのひょいと持ち上げて、三角形を作った……。地球の重力かなんかが変わって、その生命体は生きられなくなった……。では、その人たちの痕跡はといえば……ない。死んだら融けて石油になったとか、砂になったとか?
それに形が大きいわりに中の部屋は人類サイズ。ピラミッドを作っている人類サイズの人のレリーフはどう説明する? 古代エジプト人は、これだけの遺産を残して、忽然と消えたみたいですが、どこへ行っちゃったのかしら? 滅亡しちゃったのかしら? なぜ?
宇宙のどこかに知的生命体がいるのは確実です。どのくらい知的かは知りませんが。だって、そうでなければ地球人も否定することになりますものねぇ。地球人だって宇宙人だし(笑) ただ、いっくら宇宙が広くても、同時期に知的生命体が発生するというのはレアケースのような気もするし……。あーあ、考えてたって答えはでません(^_^;) なにもかも謎、謎、謎。
ピラミッドをはじめ、イースター島のモアイやナスカ、ストーンヘッジなど巨大な遺跡は、赤道と30度で交わる帯上に全部あるんですって! へぇ〜と思うにとどめますが(笑)、エジプト学にハマル人がいるのも納得できるような映画でした。
エジプトの治安
1年ほど前の革命の映像は世界中に流され、エジプトの治安が心配された結果として観光客は激減という事態になっています。東日本大震災で、日本も外国人観光客激減の憂き目をみています。しかしながら、東北は福島の一部を除いては、安全といっていいでしょう。観光客はウエルカムですよね。エジプトも同じ状況だと思ったので、いわば「チャンス!」と考えたわけです。これは大正解で、いつもは何十もの人垣の隙間から見るという状態のツタンカーメンのマスクも、ゆうゆうと長い時間眺めることができました。部屋にいたのは2、3人。
ツタンカーメンのマスクのあるエジプト博物館の前には、ニュースの現場、タハリール広場があります。博物館の横の政府の建物は、火災の後の生々しさを残していますが、博物館も広場もいたって平和なもの。タハリール広場には、いくつものテントが張られていますが、革命を担った人々のものではないとか。ジュースのスタンドが出ていたり、お茶会が模様されていたり、このテント村そのものが観光名所になりつつあるような具合です(笑) もちろん、普通に人が通り抜けているし、観光客がうろうろしても問題はありません。
観光名所などは、場所によって軍か警察が警備をしていましたが、カイロ市内では、目につくところに兵士や警官の姿もありませんでした。軍は市民の側についたので問題はありませんが、警察はムバラクを守って市民に銃口を向けたというので、ものすごく嫌われているとのこと。警察関係者の中には、制服を着ないで仕事をしている人もいるのだそうです。したがってカイロ市内の警察力は驚くほど低下し、確かに市内の治安は悪くなっているとエジプト人は言っていました。しかしながら、観光客がウロウロするエリアにはあまり関係がないようで、置き引きやかっぱらいの類も観光客が被害にあったという話は聞きませんでした。
カイロ名物といってもいいのが大渋滞。信号はほとんどないので、大きな道路が交差するところでも、すれ違い、合流はドライバーのあうんの呼吸に任されているといった具合(笑) ヨソモノがここで運転するのは、そうとうな度胸が必要です。というか、度胸があっても固まるしかないかもしれません。そして、警察力が低下してるため、交通整理のおまわりさんがいません(^_^;) 混雑時、交通整理をしているのは、市民のボランティアでした。若いインテリ風の人が多く、革命をリードした世代、団体の関係者かもしれません。悪く言われがちなムスリム同胞団の人々も、市民に支持されるのは地道にボランティアを続けてきたからと言われますから、そういう人々かもしれません。私の乗ったクルマのドライバーがちょっともたついたら、ボンネットを思いっきりバンバンバンと叩かれ、「早く曲がれ!」と指図されてました(笑)
しかしながら、エジプトは観光立国ですから、観光客の激減で経済はかなり悪化しているとのこと。観光地の物売りの数がすごく増えてるとガイドさんさえも驚いていました。失業者の数も増加しているのでしょう。そういうガイドさんだって1年ぶりの仕事だったわけですし。持ちこたえられなくなる人々が出てきても不思議はありません。6月に、早ければ5月に大統領選挙が予定されているとのこと。「もう、1年も我慢したんだ。1日も早く政治が落ち着いてくれることを願っている」と何人ものエジプト人が語っていました。それは、そうですね。日本だって、1日も早く復興したい……。でも、まあ、相対的に見て、「死ぬまでに一度、ピラミッドを見たい!」と思っている方々には、いまがチャンス!とお伝えしておきましょう。大変素晴らしい“冥途の土産”を持たせてくれます(笑)
帰ってきました
途中でブログがあがらなくなってしまったため、モモタロウをはじめ、A級幹事くんやダンプちゃんなどなど、「無事に帰国したのか〜?」というご心配をいただきました。ありがとうございます。都市部はどこのホテルでもロビーにはだいたい無料無線LANが常備されていて、アスワンのホテルはばっちりつながったのですが、カイロのホテルは接続は完了するのですが、エラーになってしまいました。エラーの理由としては、「接続先のサーバが蹴ってますよ」というもの。セキュリティに厳しいnu-faceさんのサーバが、「怪しい接続」と読んで、自動で蹴っていたのかもしれません。普段だったら「ありがたい!」という状態ですが、カイロでは「困った」(笑)
無事に帰宅いたしましたが、忘れ物失くし物の名人は、達人に見事昇格した模様です(-_-;) オババに気をとられるということもあり、今回は本当にあっちこっちに物忘れ(笑) ほとんど病気か?という感じでした。最後のほうは、必ずガイドさんに「大丈夫?」と念を押されていたくらい(-_-;) しかしながら、達人ともなると忘れ物失くし物は、必ず出てくる、手元に戻ってくるのですよ(笑) ガイドさんに「神様に守られている人だ」と言わしめました(^_^;) で、イスラームになりなさいと勧誘されました(笑)
私がつねに半透明のロングスカーフを頭から被っていたからかもしれません(^_^;) エジプトは女性のスカーフを強要しているわけではないので、スカーフを被っていない女性も多くいます。かと思えば目だけ出してあとは全身を覆っているブルカの人もけっこう見かけ、まあ、好きにしてちょうだいという感じ。私がスカーフを被っていたのは、日差しが防げ、なおかつ砂ぼこりを防げるから。郷に入ったら郷に従え……でもないのですが、イスラームより前からあるというスカーフの風習は、なかなか理にかなっているのです。
高齢者を連れての旅は、なかなかどうして大変でしたが、みなさん、とても親切にしてくれました。チップは倍以上払った感じだけど(笑) アラブ系の顔は、眉毛が太く、大きな目で眼光鋭い感じで、黙っていると「怖い顔」と感じられるのですが、実際は陽気で親切。旅は、「ありがとう」と「こんにちは」が言えれば、楽しく過ごせるというのはホントですね。シュクラン(ありがとう)はチュニジアで覚えたので、今回はアッサラーム・アレイコム(こんにちは)を仕入れていきました(^_^;) 遺跡の係員さんも博物館の掃除のおばさんも、「アッサラーム・アレイコム」と声をかけると、アレイコム・サラーム(だと思うのですが……挨拶の返礼)と返してくれて、とても親切になります(^_^;)
「なんとかかんとかアラビック?」と聞かれたこともありますが、たぶん、「アラビア語を話せるのか?」だと思い、「ノー、ノー」です。今度は、「ごめんね」を覚えなきゃ(^_^;) 今回は「メーシ」(OK)を仕入れました(笑) あとは「ヤバーシ」(英語のMrよりちょっと上のSirに近いような感じ)。どちらもアラブ人の会話に頻繁にでてきます。「飯?」「ヤバい?」という語感なので、おもしろくて覚えちゃった(笑)
エジプト珍道中の話と写真は、おいおい……。日付を遡って書くと、「見るのが面倒!」と怒る方もいらっしゃいますが、まあ、おいおい……(^_^;)
ナイルの風任せ
アスワンでは、動力は風任せ「ファルーカ」という帆掛舟で水上ドライブ。ホテルは島にあるそうで、風任せドライブのあとにファルーカが私たちをホテルまで運んでくれます。風を効率的に帆に受けるために、船はジグザグ走行。こっちの岸辺からあっちの岸辺へ、大型のクルーズ船の近くに寄ったり、島の林に近寄ったり、ナイルの川風を受けて快適な帆走をしています。
「こっちがカイロ?」と指差して船頭さんに尋ねたら、「アブシンベル!」と言われました。私の感覚だと、川は流れているのだから「下りが速い」。ところが、ナイルの流れはゆったりしているし、風はカイロ方面からの北風なので、上りのほうがずーっと速いのです。これは舟遊びといえば「急流を下る」と相場が決まっている日本からは想像もつかないことでした。
ファルーカは、舵を操る人、帆を操る人、そして、乗り降りのときだけ手を貸してくれる船頭さん(笑)の3人で一組。見回せば、あちらにもこちらにもスイスイと進んでいるファルーカが見えています。気持ちよく川風に吹かれていると、シシさんに「こっち側へ来てみて」と言われました。
反対側の船べりに行くと、あらら、子どもが手製のボートでファルーカに掴まっているではありませんか! 「どこからきたの?」と聞くと、「さっき、岸から」とのこと。この子は、突然、きれいな声で歌を歌い始めました。つまり、アルバイト?(笑) 自分のできる精一杯のことをして、なんとか稼ごうとしているのでしょう。
オババがポケットからキャンディを2個出して渡しました。シシさんは、それで十分といいますが、やっぱり現金がほしくてやっているのでしょう? そうやってバクシーシーを稼ぐ習慣のある国ですから。バクシーシーというのは、喜捨の一つとも考えられていますが、まあ、寄付を強要されるとでも考えればよろしいかと(笑) 遺跡で係りのおじさんが片言の英語で説明してくれるのを聞いて、フムフム、固有名詞ししかわからん、と思っているとすかさず「バクシーシー、プリーズ」とやられます。相場1ドル(80円ぐらい)なので、これは素直に出しておきましょう(笑) だしたくなければ説明は一切、聞かないということ。だんだん、コツがわかってきました。
手作りボート、といっても、まあ、要は1枚の板に乗って、手に小さな板を持って水をかくだけのものですが、そのボートを操って、観光客の乗るファルーカまでやってきて、少しでも稼ごうという子どもは健気じゃありませんか(笑) いまは冬で、水もそこそこ冷たいのです。1ドル、バクシーシーしました。子どもはにっこり笑って、また歌をうたい、しばらくするとせっせとボバリングして、川を渡って行きました。別のカモを見つけたかな?(笑)