
南相馬市へ
まもなく東日本大震災から1年を迎えます。今回、私を福島に連れて行ってくれたカメラマンさんは、昨年の5月からずっと、1か月に1回のペースで福島・宮城に行き、主として福島の放射線量を測定しながら変化を記録し続けていた人です。今回も南相馬から飯舘村、川内村を中心に、仙台の南側まで、線量計で数値を測定しながらの旅になりました。
沿岸部に行くと、いまだにまるっきり何もない風景が広がっています。いまだにというのはちょっと変ですね。津波で完全に破壊された家々の残骸は片付けられていて、広大な土地に家の土台だけが残っています。直後はまるっきり何もないわけではなく、やっと「何もない」状態にまで片づいたということでしょう。もう少し「片づけ」が進んでいるところでは、本当にただただ土地が広がっていましたが、南相馬から北上した沿岸部は、土台がまだ残っている状態でした。
瓦礫が片づけられた分、1年たったのだということです。1年という時間で、この状態は遅いとも思われますが、一方で実際にクルマで走ってみると地図上のほんの一角、この津波に洗われた範囲の広さを思うと、もっと、気の遠くなるほどの時間がかかるのではないかと感じられます。ちょっと高台に行くと、家はちゃんと建っているようにも見えますが、近くまで行けば1階部分はすっかり抜かれて、ビニールシートやベニヤ板が打ち付けられているだけなのがわかります。
海岸線から離れて、広野町へ行くと、ちょうど帰町のための説明会が行われていました。役場前の線量は0.18μSv/h(マイクロシーベルト/1時間当たり)でしたが、集会場の前では0.65μSv/hになっていました。ちょっとした位置や風向きで数字は違ってくるようです。集会場の上の広場には、除染した土が集められたビニールシートがずらっと並んでいます。これ、どうするんでしょうねぇ。まだ行き先が決まっていないにちがいありません。住民らしき方々は、あちこちからクルマでやってきて、マスクをつけたまま集会場に吸い込まれていきました
広野を後にして、葛尾、飯舘と、内陸部に向いました。このホットスポット地帯の話は改めて。夜はテレビでお馴染みの南相馬の立ち入り禁止ゲートの近くの安〜いビジネス旅館に泊まったのですが、なんと私以外は全員男性。ほとんど原発関係で働いている方々だそうです。「女の人が泊まるなんて聞いてない……。お風呂は、隙を見て鍵をかけて入って」と宿のおばちゃんに言われてしまいました。すごく迷惑そうで(笑) どうもすみませんm(_ _)m こういう出張人口がものすごく増えているそうです。

だるま市
今日は、深大寺のだるま市でした。このところ、毎年、行っているような気がします。今年は、土曜&日曜ということと、「ゲゲゲ……」で深大寺の名前が知れ渡ったことで、かなりの混雑。だるまを買うわけでもなく、知り合いの香具師の老ご夫妻とちょっとおしゃべりをしてきただけでした。友人の店が閉店してしまったこともあり、ひとりでは居場所もないということで……(笑)
だるま屋さんはたくさん出ていましたが、あまり活気はなかったのではないでしょうかね。だるまが売れると三本締めが聞こえてくるはずなのですが、1回しか聞かなかった……。滞在時間が短いということばかりではなく、道行く人も大きなだるまを買い込んでいる人の姿はほとんどなく、せいぜい手のひらサイズだったりします。景気が悪いったって、縁起物なんだから、みなさん、もっと張り込みましょう(笑)
といいながら、人ごみに貢献しただけの私は、明日から3日ほど東北に行ってきます。震災からずっと三陸と福島の写真を撮り続けてきたカメラマンさんに連れて行ってもらいます。被災者支援に何一つ貢献できなかったし、いまもできない私です。大震災から1年。その姿を自分の目で見てくるってだけの旅になりますが、それでもいいんじゃないかと思って、ついていくことにしました。

やっぱり……
やっぱり2年ぐらい前に閉店したようです。やっぱり、ご時世ですかね。十番あたりは観光名所みたいになってしまって、若い人向きのお店が増えたなぁという感じですが、飲食店は苦戦しているのかもしれません。そう値段も高くなく、落ち着きのあるオトナ向きの店の感じだったので、この店の閉店はちょっと残念。って、何年も足を運ばなかった人間が何をいうか!ですね(笑)

東京タワー



東京タワーから東麻布に抜けて、ものすごく久しぶりに魚冶さんでおいしいお鮨をいただきました。すっごく久しぶり。やっぱり回っているのとは、まったく別物ですね(^_^;) トコトコ歩いて十番でお茶をして、ちょっと買い物をして、おしゃべりが止まらず、ショットバーでビールだ、ワインだ(笑) 幼なじみというのは、垣根がないというのか、気楽で楽しいものでありますね。

真っ白〜!

