アスワン
今日の昼食はマクドナルド。「えーっ、ここまで来て?」という感じですが、エジプトでしか食べられない「マック・アラビア」というのがあるのです。チキンとビーフの2種類があり、薄いハンバーグのような形状のものが、野菜と一緒にナンのようなものにはさんであります。私は、チキンを選びましたが、さっぱりした味付けでなかなかおいしかったです。マックの制服は世界共通のようですが、ムスリマ(イスラムの女性)の店員さんが、スカーフの上にマックの帽子を被っているのがかわいらしい(笑)
昼食をタクシーを捕まえて、ヌビア博物館へ。アスワンあたりは、ヌビア地方といいますが、アラビア人より色の黒い、そしてかなり整った顔をしているヌビア人がたくさん街を歩いています。ヌビア人だけの村も3箇所ほどあるそうな。博物館自体は、広々としている割には展示物が少なく、よいものはほとんどカイロ博物館に持っていかれてしまったようです(^-^;) むかしのヌビア人の生活を等身大の人形で示してる展示を見ているときに突然、停電! 真っ暗で、人形の影が……ちょっと怖い(笑) 30秒ぐらいで回復しました。電力の逼迫が叫ばれている日本でも、突然の停電というのはまず体験しないので、それはそれでおもしろかったといいますか(笑)
博物館を出て、炎天下ですが、ちょっと歩き、キリスト教(エジプト正教/コプト教)のすごく大きな教会へ行きました。鍵が閉まっていたのですが、番人らしき人が来て開けてくれました。それは、日本語ガイドのミナさんが、コプト教徒だから? コプト教徒は、エジプトの全人口の13%だそうですが、確率1割強の人と一緒に旅するというのは奇遇です(笑) というか、13%もいるんだ……というのが正直な感想。イスラムとコプトは、宗教に基づく生活習慣の違いなどから、ときどき摩擦もあるようですが、エジプトではまったく問題なく共存しているようです。
このコプト教会の向かいにある「カタラクト」というホテルは、「ナイルに死す」を書いたアガサ・クリスティが滞在していたホテルとして有名。泊まるためには、清水の舞台から何回も飛び降りなければならないくらい大変な金額がかかるようです(笑) カフェでお茶だけ飲むというのも可能ですが、お茶1杯1500円ぐらいかかるとか。日本のホテルなら、「そんなもんでしょ、ホテルのカフェ」という感じですが、大卒初任給1万円/月という貨幣価値の中では、目玉が飛び出して宇宙のかなたに飛んでいきそうです。中に入っては見ませんでしたが、当然、外国人ばかりでしょうねぇ。
コム・オンボ神殿
ここには医療器具のレリーフや、出産のレリーフなどが多くあり、ひょっとしたら病院の役割を果たしていた建物ではないかという説もあるそうです。前回、中に入ってじっくり見物し、隣接しているワニ博物館(ワニのミイラが見られます!)にも行ったので、今回は、外側をふらふらと歩きました。ふらふらしていると、すごい勢いで、物売りの人々に攻めこまれます(笑) 観光客が激減しているいま、彼らの苦境もわかりますが、こちらもそうそう買い物ができるわけでもなく……。まったくやる気のなさそうに店番だけしていたおじさんから、ストールを1枚だけ買いました。800円ぐらい。
午後はアスワンまで、最後の船旅です。アスワンに到着してランチをいただき、下船してスークを散策しました。今夜はガラベーヤパーティ。着たくなければ着なくてもいいとのことですが、ほとんどの船客がガラベーヤでコスプレ? ここはお付き合いをしないとノリが悪いでしょうというわけで、スーク(市場)で、ガラベーヤを物色。結局、ヌビア風の紺灰色のものを購入しました。ガラベーヤというのは、すとんとした丈の長いワンピースのようなものですが、手作りで、刺繍がたくさん刺してあって、日本円で1000円ぐらい。生地も悪くはなく、申し訳ないような値段です。頭にかぶるアクセサリーと合わせて1200円で購入しました。まあ、普段、日本で着られるものではないかもしれませんが、まあ、遊びで購入できる金額と言ってもいいでしょう。
夕食の後、女性は色とりどりの、男性もそれなりのガラベーヤを着込んだ人々がホールに集まり、ダンスだ、ゲームだ、大騒ぎ(笑) ほとんどはイギリス人の団体さんですが、イギリス人ってもっとおとなしめの人々かと思ってました(^-^;) 中にはツタンカーメン風の衣装を着たおじさんもいて、なんとメークまでばっちり。コスプレをしていない人はほとんどいなかったので、われわれのガラベーヤも大衆に溶け込みました。ただ、私の衣装はちょっと丈が長すぎて、うっかりすると裾を踏んで倒れるハメに陥りそうでしたから、ダンスは遠慮させていただきました。
出港
乗客は、イギリス人がほとんどのようで、みんな水着になってプールで泳いだり、デッキチェアで身体を焼いたりしています。けっこうおデブのおじさんやおばさんが多く、よくそんな身体を人前にさらすよなぁ……なんて思うのは、日本的な感性なのでしょう。みんな平気で太鼓腹を太陽にも人目にもさらしています(笑) 刺青をしている人も多く、半分以上は大坂市役所には雇ってもらえそうもありません。昨日は背中の真ん中に「健康家族」と縦書きの刺青をした若い女性をみかけましたが、今日は「兄弟」と二の腕に彫っているおじさんに遭遇。日本語(というか漢字?)って「柄」としておもしろいのでしょうか?
日が暮れる頃、船はエスナロック(閘門)にさしかかります。ナイル川には水面の高低差があるため、片側の門を開けて船を中に入れ、門を閉めて反対側の水面の高さまで水位を上げるなり下げるなりして門を開け、船を通すというのがロック。1回に2隻しか船が入らないそうで、船は順番待ちをします。今日はすいていたので1隻待ちでしたが、混んでいるときは1時間も待つことがあるのだとか。
ここで開門を待つ間に、ガラベーヤやベッドカバーのような布、大きなバスタオルなどを売りにボートがやってきます。ボートからデッキに品物を投げ込んで、捕まえた人と値段交渉。折り合わないときは、品物はボートに投げ返されることになります。このボートからデッキに品物を投げ込むコントロールが抜群で、どこかのへぼ野球チームにスカウトしたらどうでしょうと思うほどです(^-^;) 返すときは下のデッキに投げ下ろして、船員さんから返してもらうようです。お客さんは、みんなコントロールがいいわけではありませんからねぇ。船がロックに近づくと、陸からもたくさん投げ込まれます。いらないと首を振っても、ぽこぽこ投げ込まれ、投げ返し……、商人のほうは生活がかかっているのでしょうが、お客のほうはゲーム感覚です(笑) 根負けして、バスタオルを1枚買ってしまいました。1000円弱というところですが、案外(と言っては失礼でしょうが)いい品物でした。
ロックを抜けた頃から、カクテルパーティが始まります。食事のときもそうですが、係の人がカランカランと鐘を鳴らしながら歩いて「時間ですよぉ〜」と教えてくれます。カクテルで喉を潤した後は夕食。そして、ビンゴパーティと、クルーズにはバスでの観光とは一味違った楽しみがたくさんあります。ビンゴに関しては、惨敗でした(笑)
クルーズ船のディナー
ランチブッフェの人参スープもとてもおいしかったのですが、この船のスープは異常においしい! 夜も単なる野菜スープですが、「お代わりもらえますか?」という感じです。さすがに口に出しては言いませんでしたけど(笑) パンもおいしくて、バターなどはいらないという感じ。こちらは、ソフトな、しっとり型のパンでした。魚も肉もありますが、それより野菜系の料理がとてもおいしいです。そして、量もたっぷり。日本人の食習慣から考えると、食べ切れません!(^-^;) 残してごめんなさい。
この船の難点は、通信環境が悪くて、備え付けの有線インターネットがつながったり、つながらなかったり、つながらなかったり、の状態。私はちょっとあきらめモードです。携帯電話のほうに「生きてますか〜」というメッセージをくださった方がいますが、すみません、生きてます(笑)
小さめの遺跡
今日からナイル川のクルーズ船に乗船。アガサ・クリスティ時代のような豪華客船ではありませんが、コンパクトにまとまった客室で、サービスもよく快適です。私たち以外の乗客はヨーロッパから来た人々ばかりのようです。殺人事件が起きなければいいのですが(笑) 今日から3日間は、この船で暮らします。ということは、洗濯、洗濯! 今日の気温は40℃近くでしょうか。湿度が低いのであまり汗はかきませんが、日差しが強いので部屋に帰れば、やはりまずシャワー。洗濯物もたまります(^-^;) もちろん一晩で乾きますが、荷物を散らかしっぱなしにしておいてもいい連泊は洗濯のチャンスになります。
乗船はしましたが、船はまだ出港しません。船のブッフェランチをいただいてから、人々は再び街へ観光に繰り出すことになります。私はルクソールの有名な遺跡は前回、みんな見てしまったし、連れのふたりも当然、仕事で何度も訪れています。午後のもっとも日差しの強いときに、入場料を払って、また行くこともありますまい。というわけで、一般の観光ルートには含まれていない小さな遺跡めぐりをすることにしました。
ラムセス3世の葬祭殿は、小さいといってもそれなりの広さがあり、観光客も訪れていました。レリーフには鮮やかな色彩が残っており、3200年前などと言われると不思議な気持ちになります。どういう人々がこの絵を描いたのでしょうか。王様お抱えの絵師というのがいたのでしょうが、ひとりふたりの力ではありません。この時代、絵を描く才能のある人は、すごく大事にされていたのでしょうねぇ。日向でぼんやり眺めているとすぐにミイラになりそうなので、日陰、日陰と移動は迅速に!(笑) ガイドさんたちも、ちゃんと日よけの布を頭からかぶっていまいた。
次に行ったのは、「王妃の谷」にある貴族の墓といわれているところ。「王家の谷」は、観光客が必ず行くところですが、隣にある「王妃の谷」は、あまり人が訪れません。その中でも、王妃ではなく、この墓群を作った職人の墓かもしれないという墓に連れて行ってもらいました。誰もいなくて、私たちの姿を認めた係員らしい民族衣装(ガラベーヤ)のおじさんが鍵を片手に走ってきてくれて、鍵を開けてくれました、という状態。地下で、めったに訪れる人もなく閉切りになっている部屋は、小さいのですが、壁や天井のレリーフが驚くほど鮮明に残っています。王様関係の壁画は、戦争や征服、貢物という感じですが、ここには彼らの生活のスタイルが窺われる絵がたくさんありました。
そろそろ自分が日干し煉瓦の仲間入りしそうにはなっていましたが、クルマの中で水分を補給し、すぐ近くにあるラムセス2世の葬祭殿のひとつに。ここは、復旧が進んでいないため、ほとんど廃墟に近い状態。鳩の住処になっています。「お金を取って、見せるなぁ〜」という感じです。係員の人も日陰で昼寝してました。起こしちゃってごめんなさい(笑) ここに倒れている立像は、ちゃんとすべてが発見されれば、一番大きなラムセス1世像になるかもしれないとのことですが、いまはまだ肩の部分が見つかっているだけとか。えっ、これが肩? という大きさではありました。小さなビルぐらいの大きさはあります。