コプトの修道院
アレキサンドリアからカイロへ帰る途中に、コプト教の修道院がいくつかあります。メインストリート砂漠の道から、さらに砂漠の奥へと進まなければならないので、一般的に観光で行く人は少なく、ベテラン添乗員のゴーちゃんでさえ、行ったことがないという場所でした。エジプトはイスラームの国というイメージがありますから、キリスト教の遺跡を訪ねるという視点がないといえば、ないような気もします。たまたま日本語ガイドのミーナさんが貴重な13%(笑)だったこともあり、ここに立ち寄ってもらうことを思いつきました。
修道院の周りは、かつてはもっと閑散としていたそうで、修道士たちは砂漠の真ん中に庵をあみ、水を引いて草木を育て、野菜を育てて生活をしていたのだとか。最初は、木の棒が1本地面にささり、これが根を張り、葉をつけたことから神の啓示の地として、ここに修道院を開いたそうです。その木は、いまは青々と繁る大木になっています。いまも原則的には、そういう生活だそうですが、近隣の村の人口が増え、村のほうがどんどん修道院に近づいてくる……といった状況だそうです。修道院もとても立派になっています。そこで、修道士さんたちは砂漠のもっと奥にそれぞれひとりひとりの庵をあんで、神との対話を続け、修道院には週に1回ぐらい帰ってくるという生活だとか。
もっとひと気のない場所を想像していたのですが、大勢の、それも若者と子どもが集まっているので驚きました。いままでの、どの観光地より人がいっぱいいる……。彼らは、観光客ではなく、ある種の巡礼のようなものらしいです。大型バスを仕立てて全土から集まってくる模様。3月に、人々に慕われていた老齢の大司教さまが亡くなり、いまちょうど廟が完成しつつあるところなので、お参りの方々も多いようです。家族連れの姿も見かけますが、中高生ぐらいの団体がたくさんいるのは、一種の修学旅行のようなものかもしれません。きっと、キリスト教はキリスト教徒の子弟だけを集めた学校を持っているに違いありません。
ミーナさんは祭壇の前では、一心にお祈りをささげます。記念写真を撮っている人もたくさんいるので、写真は撮らせてもらいましたが、信者でもないのに、のこのこ内部を立ち歩き、写真まで撮ってなんだか申し訳ないような。あちこちにキリストとマリアの絵が掲げられてるのは、私たちにとってはイスラームよりは知っている感がある風景でもあります。かつて修道士が修行をしていた小部屋がひとつ公開されていますが、人がひとり座って身動きがとれないほどの狭さ。そこにランプがひとつだけ下がっています。食事をしたり、畑を耕したりしている修道士たちの人形も展示されていて、ときどき修道士さんたちが現れ、説明をしてくれたり。見学者への配慮もなされています。
最近、亡くなった大司教さまの廟は、完成間近とはいえ、まだペンキの臭いがして、作業中の梯子がかかっていたり。それでもお参りの人の長蛇の列です。紙にお願いごとを書いて、祈りながら棺の上に置いていく風習があるそうです。ミーナさんは、ちゃっかりもう紙に願いごとを書いていました。願いも祈りもしないで申し訳ないのですが、列の後ろにつき、しっかり新しい廟の見学だけはさせてもらいました。みんなのお願いごとは、修道士さんが集めて籠に入れ、どこかに運んでいきますが、すごい量のお願いごと! 大司教さまも神さまも、読むだけでもかなり大変そうですよ。中にはひとりで4枚も5枚もお願いごとを書いている人もいます。ミーナさんが何を書いたかは知りませんが、叶うといいですね。
修道院の端のほうには、テーブルと椅子がずらっと並んだホールのようなところがあります。食堂かと思えば店もなく、みなさんランチ持参で来るのかしらと思えば、そうではなく、ここで修道院が豆のスープとパンを無料で提供してくれるのでした。形式化しているとも言えますが、キリスト教らしい“施し”の精神だと思います。私たちも遠慮なく、豆のスープとナンをご馳走になりました。さっぱりした塩味の豆のスープはおいしい! 仕上げに紅茶までご馳走になり、信者でもないのに本当に申し訳ない(笑)
この豆や小麦は修道院が育てているものだったり、近隣から購入するものだったりするそうですが、運営のほとんどは寄付で賄われているそうです。帰り道の壁に「ドネイション・ボックス」と書いてある穴が開いていました。寄付ぐらいしなくちゃいけないんじゃない?と思ったのですが、みんなスタスタと早足で通り過ぎていくので、私もそのまま通過(-_-;; よく見ると、ミーナさんはじめ、多くの人が入り口に座っている修道士さんと言葉を交わし、ここでいくばくかの寄付を渡している模様です。ちなみに、ミーナという名前は、コプト教の聖人の名前なので、ここではあちらこちらで「ミーナ、ミーナ」と呼んでいる声が聞こえてきます。我がガイドさんを呼んでいるわけではありません(笑)、 ミーナさんは、「ここにはミーナがいっぱいる!」と笑っていました。
カタコンベ
アレキサンドリアを訪問するのは初めてなので、しっかり観光させてもらいました。昼間は暑いので、午前中にタクシーであっちこっち。タクシー代はとても安いのですが(たぶん、たいがいのところは100円未満)、メーターもなくアラビア語しか通じないので観光客にはなかなか利用が難しいところ。日本人観光客(ここでもまだひとりも見かけてはいませんが)、日本の感覚で100円ぐらいのところを1000円も2000円も払うハメになることもあるとか。もちろん、高額紙幣なんか出したら、おつりなんかもらえません(-_-;; 私たちにはミーナさんというまじめな日本語ガイドさんがついているので、タクシー乗り放題です(笑)
まずは、「カタコンベ」へ連れて行ってもらいました。急に仕事モードになったミーナさんの解説によると、日本語では「地下墳墓」。ここは王侯貴族ではなく、庶民のお墓だったそうです。螺旋状の91段の階段を下りて、地下のお墓の跡を見学。基本的には土葬なので、人間がひとり入るスペース、つまりはカプセルホテルのような小部屋が地下にぎっしり並んでいます。遺体を降ろすための井戸のようなものもあり、なかなか興味深いところです。地下3階までありますが、最下層は地下水が染み出てしまって、水没。いまは入れないそうです。正式名称は「コムシュアーファの丘」というそうで、コムシュアーファとはお皿などの破片のことだとか。地下には宴会ルームのような小部屋があり、かつてお墓参りに来た人々がここでご飯を食べたのだとか。お清めみたいなものでしょうか。そのとき使った食器類は持ち帰らず、砕いて捨てて行ったことから、このあたりには食器の破片が山になっているのが発見されたそうです。それがこの地下墳墓の名称の由来です。残念ながら、写真撮影禁止。
この丘を下っていくとポンペイの柱があります。高さ27メートルで、ポンペイという土地とはまったく関係ないそうです。ではなぜポンペイかというと……、おもしろいのですが、とても長くなって説明しきれない感じです。誰が建てたのかという件についても、いろいろ説がある模様。ローマ皇帝の誰かと関係があるのは確かですが、耳慣れない名前ということもあり、世界史が苦手な人間にとっては大混乱(笑)
再びタクシーに乗って、アレキサンドリア博物館へ。ここには古代エジプト、グレコローマン時代、そしてコプトからイスラームへと時代、時代の展示品があり、小さいながらなかなかおもしろい博物館です。とくに海底からでてきた遺跡というのは、発掘中の写真も含めて珍しいものでした。これら海底から出土(出海とでもいいますか)した遺跡を集めて、海中に博物館を作る計画があったそうですが、革命でペンディング。今後、実現するかどうかは、まったくわからないそうです。それができたら、かなり見ごたえがありそうですが。
アレキサンドリア図書館へもいって見ました。かなりユニークな建築です。屋根がおもしろいのですが、そうとう遠く離れたところから撮影しないと写真でおもしろさを伝えることはできないさそうです。図書館の中にも歴史展示物がかなりあるそうですが、入場するには荷物を全部、預けなければならないとか、いろいろ面倒な規則もあるようなので、外から眺めることでよしとし、暑くなってきたのでカフェで一休みする道を選びました(^-^;) そしてホテルに戻って、日中は休憩タイム。夕方から、また活動開始ということにして、解散!
アレキサンドリア
高級リゾート、シャルムを後にして、飛行機でいったんカイロに戻り、クルマでアレキサンドリアへやってきました。アレキサンダー大王が作った街で、なんとなく世界史の世界……、苦手でしたけど(笑) クレオパトラがいた街でもあります。クレオパトラって、金髪で、ギリシア人とエジプト人(アラブ人のではなく)のハーフだったとか。イメージわきませんね(笑) ここは地中海に面したリゾートで、いまは高級ではなく中級リゾートになっているとか。カイロから近いので、中級の人々が短い休暇で来るところだそうです。地中海に、クレオパトラに、といえば、素敵な街に感じられますが、海にはいっぱいゴミが浮かんでいて、湿度も高いのであまり快適とはいえません。気温は27、8℃ぐらいですが、汗まみれになってしまいます。連泊なので、洗濯、洗濯。ところが湿度が高いせいか、案外、乾きません。普通、ホテルの部屋は乾燥しすぎるほどのはずなのですが(-_-;;
ここでは「メトロポール」というかなり高級なホテルに泊まりました。アレキサンドリアでもっとも古いホテルのひとつだそうで、クレオパトラがカエサルのために建築し、オクタビアヌスの時代に完成したというカエサリウムという建物があった場所の跡地に建てられたホテルだとか。跡地というだけで、クレオパトラとホテルは何の関係もありませんが、全体にアンティーク調で、クラシックなインテリアが美しいホテルです。宿泊費はやや高めですが、客室数が少ないので、パッケージ旅行では絶対、泊まれないホテル。とくに驚いたのは、むき出しで箱が上下しているエレベータ。大丈夫?という感じですが、逆に、止まってもすぐに救出してもらえそうです(笑)
古い建物のよさでしょうか、天井がやたらに高い! おかげさまで、廊下などでも空間が非常に広く感じられます。もちろん、客室も。普通の近代的ホテルの1.5倍ぐらいの高さがあります。私の泊まらせてもらった部屋はハーバービューで、窓からは海岸が一望できます。ただし、この窓、老朽化が著しく、海から強風が吹くと、自動ドアのように全開(笑) 高さ3メーターぐらいの木製なので、閉めるためにはかなりの力が必要です。1日目は風が強かったので、何度も何度も窓を閉め……。最後には、重い椅子を引っ張ってきて窓の前に据え付けました(笑)
とはいえ、バスルームなどは改装してあり、清潔で近代的です。シャワーがお湯になるまでに少し時間がかかるのが難点といえば難点ですが、水圧もかなり高く、浴槽にお湯をためてちゃぽんと入っても広々しており、快適。エアコンもかなり細かく設定。そして、なんと部屋で使える無料のWiFiがあります。この旅では初めての無料、そして客室での使用ができる設備! 古くて新しいホテルとでも言いましょうか、やっと問題なくメールチェックができる環境を得ることができました(^-^;)
紅海リゾート
ホテルのプライベートビーチがあり、パラソルのつくる日陰で一休みしてきました。私は海風+太陽光線で皮膚にアレルギー反応を起こす性質なので、画期的に早起きし、8時にはブッフェの朝食を終えて、散歩がてら歩いて2分の海岸まで行ってみました。ということは、まだ9時前。なのに、日向には到底、長い時間はいられません。ただ、湿度が低いせいでしょうか、海風特有のベタベタ感はなく、本当に海?という感じです。アレルギーの気配もありません(^-^;)
のんびり寝転んでいると、目の前の海には、モーターボートが現れたり、ウィンドサーフィンが現れたり……。ここはダイビングスポットとしても有名で、マリンスポーツのすべてがそろっています。クルージングの船やグラスボートなどもあり、朝から多くの人が乗船待ちをしていました。いや〜、イタリア人はにぎやかです。言葉を変えれば傍若無人(笑) そういえば、飛行機の中でも後ろの席のイタリア人が、降りる間際に香水をたぶん頭から浴びたんじゃないと。むせ返り、頭痛がしてくるくらい……。いい香りではあるのですが、使う量には限度ってものがあるのではないかと思います(笑)
シャルムの街はおしゃれなお店が立ち並んでいて、とてもきれいです。ヨーロッパの街と違うのは(たぶん)水タバコを楽しめるカフェがずらっと並んでいること。昼間はみなさんビーチで、暑いし、さすがに誰もいませんが、日が落ちると席を探すのが大変なくらいぎっしりと水タバコを楽しむ人で埋まります。水タバコは、りんごやみかん、ミントなどさまざまな香りが楽しめ、水を通すことで有害成分はなくなるということで「無害なタバコ」としてヨーロッパ人にも人気があります。って、「有害なタバコ」を吸っている人々もたくさんいて、エジプトはタバコにうるさいことは言わないので、喫煙者のリゾートとしてはいいのかも(笑) 道には、夕べお水タバコの香りが漂い、街に香を焚き染めたような……。なかなかの癒し系です。
ホテルのロビーでランチのためにお連れさんと待ち合わせをしていたのですが、喉が渇いて……、ここでは、というより日本以外では、水はタダで好きなだけ飲めるというわけにはいきません。水、水、水……、ホテルの売店にはジュースなどが売っていますが、エジプトポンドしか使えないようです。両替店に行ったら、まだ閉まっていました。昼間は暑いので、みなさん、プールか海。あるいは昼寝。街が活動し始めるのは日が落ちてからになるようです。そのかわり、空が白むまでずーっとパーティモード。これぞリゾートという感じです。こういう休暇の楽しみ方に関しては、ヨーロッパの人々は貪欲です。
ファルーカ
エンジンつきの小型ボートもいいですが、アスワンに来たら、やはりファルーカに乗らなくては! というわけで、風任せの帆船ファルーカを1艘調達してもらいました。川風に吹かれて、ゆらりゆらりと進むファルーカは本当に涼しくて気持ちがいいです。ゆらりと言いますが、速度はそんなに遅くありません。風を受けて川をジグザグに進むので、移動に多少時間はかかりますが、これは移動の手段ではなく、川そのものを楽しむ船ですから、風が強ければ速く、弱ければゆっくり進むだけです。無風のときは動きが取れないので、モーターボートで引っ張るのだとか。私は、幸いにも風に恵まれています(^-^;)
ヌビア人の村に上陸。といっても、船着場ではなく、岸に板を渡して上陸です。なかなかワイルド(笑) ファルーカの船長のお宅で、お茶をご馳走してくれるそうです。ヌビアの人々は、大きな家に一族郎党、まとまって住んでいます。真ん中が広場のようになっていて、それぞれの部屋やキッチンとの連絡は、この広場を行ったり来たり。子どもたちは、姉妹だったり、いとこだったり……みんな一緒に遊んでいて、楽しそうです。どうやら船長のお孫さんたちらしく、ここは船長ご夫妻と息子たち夫婦の子どもたちが一緒に暮らしているようです。ご馳走になったハイビスカスティは、冷たくてとてもおいしかった!
子どもたちは、キャンディが大好きで、手持ちのものをあげたらとても喜んでくれました。よく顔を見ると、くっきりした目でかわいい顔……ファラオの子孫では?という感じです(^-^;) 古代エジプト人は、忽然と消えていて、その後、エジプトはオスマンやアラブやいろいろなところに支配されているので、現代のエジプト人(多くはアラブ人)とはつながりがないとのこと。ヌビア人は、ファラオに支配されていた人々といいますが、顔を見ると、実はこの中に支配者層が隠れていたのではないかとか……妄想(笑)
帰りもファルーカに揺られて、のんびり帰ってきたのですが、今回は歌をうたいに来る子どもがいなくて残念(笑) 前回は、手製の板きれのボートでファルーカの船べりにつかまって、きれいな声で歌をきかせてくれた子どもがいたのです。もちろん、チップがほしいわけですが、本当にきれいな歌声で、1ドルとキャンディでは申し訳ないくらいでした。ファルーカをホテルにつけてもらい、シャワーを浴びて、着替えをして夕食へ。
夕食は島のレストラン「ドッカ」で煮込み料理を食べることにしました。観光客ばかりではなく、地元の人々にもおいしいと評判の店だそうです。ホテルからボートで岸に渡り、少し歩いてレストランのボートの停泊場へ。レストランのボートで、店に渡ります。面倒なような気がしますが、水上が気持ちがよいので、まったく苦になりまん。というか、楽しみ(笑)
煮込み料理は、チキンとビーフ。昼間チキンを食べたので、ビーフを食べて見ることにしました。「お肉が硬いよ」と言われましたが、それほどでもなく、国際標準だと思います。松坂牛みたいなのは、特殊な存在でしょう。しかも、普段、私が食べているのはオージービーフですから(笑) トマトと肉、ここらへんでは肉といえばビーフのことですが、しっかり煮込んであっておいしかったです。最近は、日本でも「タジン」という名称がかなり一般的になっているのではないでしょうか。ちょっと焦がした感じのパスタを混ぜたライスにかけて食べます。ライスはご飯ではないので、主食のパンも配られますが、とても量が多くて食べ切れません。
もうひとつ、このレストランの名物は、グァバ、マンゴー、ストロベリーが3層になった「ヌビア・カクテル」。ノンアルコールで、かなり甘いですが、おいしいし、きれい。「混ぜて飲むか、1層ずつ飲むかは、あなたしだい」と言われました(笑) レストランのボートでホテルまで送ってもらい、夜景を楽しみました。今日のホテルは、「モーベンピック」と言って、やや高級(^-^;) たぶんアスワンで一番高いビルで、最上階はバーになっており、アスワンの夜景が一望できます。誰もお酒を飲まないので、エレベーターで上がって、夜景を見て、降りてきました。部屋は別棟の4階ですが、ここの窓からの夜景でも十分楽しめます。