帰ってきました
帰りの飛行機が高度を下げて、日本の陸地が見えたとき、「緑色だなぁ〜」とつくづく感じました。山があって森があって、林があって、きれいに区画が区切られた田畑が眼下に広がります。エジプトで植物の姿が見られるのはナイル川沿いだけと言ってもいいくらいで、全体的に黄色っぽい砂の色をしています。これだけ風土が違うのだから、伝統も文化も、人や社会も違って当然だろうなぁ〜と妙に納得してしまいます。違っているから、おもしろいのですね、これが。
デスクトップの調子が悪くて、帰国報告が遅れました。ノートでやれって!(笑) 帰った早々、忙しいnu-faceさんに時間外労働を強いて、リモートで直してもらいました(^_^;) さて、今日からは「日常」ってものが再開です(-_-;)
スポーツクラブ
エジプト旅行も最終日。連れのおふたりは買い物へいくというので、買い物趣味のない私は所在なく(笑) ひとりで市内でもぶらつこうかなと思っていたのですが、前回、エジプトに行ったときの日本語ガイドをしてくれたシシさんと連絡が取れ、「お茶でもしましょう」ということになりました。「泊まっているホテルは?」と聞かれ、「ギザのアル……なんたら、隣にモスクがある……」なんて言っただけで、「わかった。そちらに行く」と。さすが観光関係者、話がはやい(笑)
クルマで迎えに来てくれたシシさんが連れて行ってくれたのは、ギザ郊外のスポーツクラブ。会員制で、かなり高級なクラブのようです。メンバー以外は、しっかり入場料を徴収されます。幾らだったかは知りませんが、相対的に物価の安いエジプトにおいては、安くはなさそう(^_^;) プールにサッカーコートが2面、テニスコートが10面ぐらいあって、素敵なクラブハウスがあります。スポーツクラブから見える建物は、お金持ちの別荘だということで、こちらもすごく立派なご邸宅ばかり。
このクラブのある街は「10月6日町」というのだそうです。アラビア語でなんというのかは、まったく聞き取れず、覚えられずでしたが、エジプトにとって10月6日は特別な日。第4次中東戦争の対イスラエル戦勝記念日らしいです。その日の名前が、市の名前になったとのこと。エジプトに限りませんが、このあたり、いやヨーロッパでもそうですが、人の名前や記念日の名前が、駅や橋、通り、広場、街などにつけられていることが多いようです。革命で追放されたムバラク元大統領の名前をとった「ムバラク駅」とかもあったはずですが、「どうなった?」と聞いたら、とっくに名前が変更になっているとか。日本では人の名前を公共物につける習慣はないですよね。例外は「坂本龍馬空港」ぐらい?
クラブ内を案内してもらい、クラブハウスでお茶を飲みました。広いし、あまりに立派なクラブなので「お金持ちなんじゃない!」と言えば、「だった」と。日本語ガイドは、かつてはなかなかいい仕事だったようですが、日本人観光客が激減状態が続いているので、いまはお金持ちではないそうです(笑) でも、2月に行ったときに比べれば、日本人観光客の姿もチラホラ見かけるようになっています。日本で「ツタンカーメン展」をやっていることでもありますし、秋からエジプトを訪れる日本人が増えればいいですね。
帰りに「モール・アラビア」という巨大なショッピング・センターに連れて行ってもらいました。エジプトのみならず、中近東でいちばん大きなショッピング・センターだそうです。入口だけで、23箇所もあります。その一つ、一つが巨大なゲートで……。ありとあらゆる店が揃っているそうで、クルマまで売っていました!(笑) もちろんカフェやフードコートもあり、1日いても楽しめそうです。グルッと回っただけで、ずいぶん歩いたと思います。運動不足解消になったかも。天井も高く、圧倒的なスケールです。
帰り道、目の前にピラミッドが見えました。今回は行かなかったのですが、やはりピラミッドはエジプトの象徴。遠くから見ても、やっぱり大きいです! しかしながら、砂漠の中ではなく、街中にあるというのが、どうもイメージが……。できれば砂漠の中にあってほしいものですが(^_^;) 動かせるわけもなく(笑) いまピラミッドの近くにカイロ博物館より規模の大きなエジプト博物館を建設中だそうです。革命の影響で、工期に遅れはでているようですが。これができると、ピラミッドと直通の道路だか、なんだかができ(中途半端な情報ですねぇ)、観光客は電動カートか何かで移動するというような計画もあるとか。日本資本が支援しているとか、なんとか(笑) 本当に中途半端な情報です(-_-;) あとで、ちょっと調べてみます(^_^;)
カイロ市街
前回、カイロに来たときは、ずいぶん長い間、カイロ博物館にはまっていました。いま、ツタンカーメン関係の展示物は、だいぶ日本に行ってしまっているのではないでしょうか。確か、まだ上野でツタンカーメン展をやっているはずです。ただし、黄金のマスクは門外不出ということなので、ここにあるはず。何十年か前に日本でツタンカーメンの黄金のマスクが展示されたことがあり、このときは本物だったそうです。ずいぶんな行列ができたそうですね。何年のことなのか、いまちょっとわかりませんが、「あのころはエジプトの経済が大変で、ツタンカーメンが世界中へ出稼ぎに行った」というガイドさん。黄金と出稼ぎ、言葉のイメージのギャップに大笑い。言いえて妙、というやつでしょうか(笑)
そのうえ、定番のピラミッドやスフィンクスを見るのに忙しく、そういえばカイロの街はほとんど歩いていませんでした。そこで今回は、せっせと待ち歩きをすることにしました。まずはオールド・カイロへ。カイロ発祥の地で、キリスト教の教会がたくさんあります。マリア様が幼いキリストを抱いてエジプトに逃げてきたとき、ここに3ヵ月滞在したという地下の小部屋を持つ教会もあります。その伝承のためにこのあたりにたくさんの教会が建てられたともいわれます。石畳の路地は、4世紀末から5世紀にかけて建てられた教会の間を縫って続いています。工事中で中には入れなかった聖ジョージ教会などは、10世紀になって再建されたものといいますが、それでも十分、古いです(^-^;)
内部は立派な祭壇が据えられています。緞帳のようなもので仕切られている祭壇の内側へは信者のみが入れ、それ以外の人は祭壇の前までというのが、コプト教会の特徴のひとつだそうです。係りの人が、撮影OKの祭壇のところまでわざわざ案内してくれました。そしてローソクをくれました。火をつけて願いごとをしながら祈り、立ててきます。やってみましたが……、神さまも忙しいし、部外者のお願いまではきいてくれないんじゃないかなぁと懐疑的ではあります(笑) ローソクというのが、いかにもキリスト教的な感じがしました。
オールド・カイロを後にダウンタウンへ。いわゆる繁華街ですが、荘厳なビルが立ち並んでいて、ヨーロッパに来たようです(行ったことはないので、あくまでイメージですが)。おしゃれなブティックやお菓子屋さんなども並んでいます。おいしいと評判の、行列のできるアイスクリームスタンドで、アイスクリームをテイクアウト。私のはマンゴー&ストロベリーでしたが、100%果汁で甘すぎず、さっぱりしていておいしかったです。ほかにミントやチョコレートなど6種類ぐらいの味がありました。この店には、奥にお菓子のセットがたくさん並べらていて、甘党の人のお土産にちょうどいいかも、という感じだったのですが、運んでいる間にトランク中がハチミツ味になる可能性が大なので断念(笑)
ここで探していたアラビア語の数字盤の腕時計を発見。アラビア語の数字は、アラビア数字ではないのです(笑) クルマのナンバープレートはみんなこの数字ですし、お店の定価表示や電話番号などもこの数字で書いてあることも多いので、覚えておくと何かと便利。覚えるためには腕時計は最適です。という理屈は後付けで、とりあえずおもしろい(笑) 1個750円ですから、長持ちしなくても諦めがつくしと思ったら、お店のおばさんがしっかり新しい電池を入れなおしてくれ、しかも中の機械は日本製だから壊れないと。聞いたことのない会社でいたが、確かに「日本製」と書いてあるので、なんとなく信頼感が……(笑)
そして、最後は「ハーン・ハリーリ」という巨大なバザールへ行きました。「何でも売ってる!」そうで、ちゃんと見て歩けば1時間で回りきれないぐらいの規模をもっています。それぞれ見たいものが違うので、解散! 1時間後にカフェで待ち合わせることにしました。見て歩くと行っても、歩いていれば、あっちこっちから声がかかります。日本語で「安いよ。見るだけタダ」と何度も言われました。誰が教えたんでしょうねぇ(笑) もっとすごいのは、おじさんが駆け寄ってきて、「バザールでござーる。やまもとやま!」と。エジプト全土の土産物屋さんから、この掛け声をかけられるのですが、「バザールでござーる」はともかく、「やまもとやま」は何? 誰がどのような意図で教えたのか、まったく想像がつきません。そして、それがほぼすべての土産物屋さんに行き渡っているのもなぜだか検討もつきません。もう少しマシな言葉を教えられなかったのかねぇ(笑)
このおじさん、ずっと私についてきて、シルバーはどうだ、ガラベーヤはどうだ、Tシャツはどうだ、宝石箱はどうだと休みなく勧める、勧める! 「何もいらない。何も買わない」と何度も言うのですが、聞いちゃいません。何かに足を止めると、色違いもある、柄違いもあると、どんどん広げられるので、思わず日本語で「いらないってば!」(笑) それでもめげないおじさん。どの店のものも勧めるので、どうもお店の人ではなさそうです。ロングスカーフを1枚、探していたタイプのものが800円ぐらいだったので、買うことにしました。買ってしまったら、やっとおじさんから開放されました。あのおじさん、売れた店からマージンを貰っているようです。しつこいわけだ(笑)
本当におもしろいのだけれど、妙に緊張感があるのがハーン・ハリーリというバザールです。イスラームのお祈りに使う数珠を見ていたら、おばさんが飛んできて、私の手からすべての数珠を取り上げ、売る気満々だった店番のおにいさんをものすごい勢いで怒鳴りつけていました。このバザールで、「売らない!」という方向性もあるんだ(^-^;) 言葉はわかりませんが、たぶん、「異教徒には持たせない」と言っていたのではないでしょうか。あまりの勢いに店番のおにいさんと顔を見合わせてしまいました。この数珠、その隣の店ではちゃんと売り込みしているのです。確固たるポリシーを持ってるおばちゃん、すばらしいと思います(^-^;) 主たる理由は自分の財布の中身が軽く、欲しくたって買えないという状況があるにしろ、まあ、不必要なものを勢いに負けて購入するという愚だけは犯さずバザールを乗り切りました(笑)
エジプトはナイルの賜。高さ187メートル、カイロタワーからの眺望です。
エジプト人の家庭
「エジプト人の普通の家をみたいですか?」と聞かれ、「もちろん!」と答えると、ミーナさんの家にお招きいただきました。エジプトでは休日の金曜日なので、奥さんや妹さん、双子の弟さんたちも仕事はお休み。ご両親ときょうだいは、ミーナさんご夫妻とマンションの隣の部屋に住んでいます。部屋を行ったり来たりしながら、お母さんと奥さんでたくさんのエジプト料理を作ってくださり、総勢7人で食事会。お父さんだけは残ながらお仕事でお留守でしたが、本当に仲のよい家族で、とても楽しいひとときを過ごさせていただきました。
私がそれを好きだと言ったために特別に作ってくれた「スズメの舌のスープ」。スズメの舌が入っているわけではなく、米粒大のパスタがスズメの舌のように見えるというあっさりしたチキンスープです。アラビア語で何というのか……、何度聞いても覚えられません(-_-;; すごくおいしかったのは、モロヘイヤのスープ。モロヘイヤを細かく刻んでネバネバを出し、みじん切りのニンニクを色が変わるまで炒めたものにチキンスープを加えて、その中にモロヘイヤを入れて混ぜたものだそうです。ネバネバですが、意外とさっぱりしていて、ナンですくって食べるととても合います。
名前はわからないのですが、米をブドウの葉で包んで煮てあるもの。アラビア料理の定番かどうかはわかりませんが、ギリシア料理店でみかけたような気もします。独特の風味があって、好き嫌いはありそう。私は、たくさんいただきましたが、好みかと聞かれれば、そうでもないかも(^-^;) それに加えt豪快なチキンの丸焼きが3つ。「ファルハ・マシュウィー」というらしいのですが、鶏のグリルは、丸焼きが普通のスタイルのようです。香味野菜とトマトのサラダもあり、もうお腹いっぱい、これ以上は無理というほど食べましたが、「少ししか食べてないじゃない!」と言われました。ミーナさんみたいにでっかい人は別として、普通のエジプト人は日本人とサイズ的にはそう変わらないと思いますが、胃袋の大きさだけはずいぶんと違うようです。だから、年配の人にはデブが多い……(笑)
ミーナさんご夫妻とご両親のお宅は、ベッドルームからバスルームまで、隅から隅までぜーんぶ見せてもらいました(笑) 新婚のミーナさんご夫妻の部屋はインテリアもおしゃれ。キッチンも近代的です。ご両親のほうは、ちょっと年季の入った家具で、それなりに風情があります。どちらも来客用のスペースというか、椅子を並べて大勢でおしゃべりできる部屋が広く取ってあります。親戚付き合いも盛んで、社交的なエジプト人の家らしい間取りかもしれません。
金曜日の夜のカイロは、午前1時、2時までお店も開いており、とてもにぎわっています。ゴーちゃんは、ミーナさんを伴って、アバーヤ(イスラムの女性の服)を買いに行くというので、私はホテルに帰ることにしました。ギザ(ピラミッドのあるところ)のホテルに泊まっていますが、ミーナさんの家からホテルまで歩いて5、6分です。ひとりで帰れますと言うのに、心配性のミーナさんが「絶対にダメ!」といいます。治安は悪くないのですが、ホテルに入るためにはピラミッド通りという広い道路を横切らなくてはなりません。交通量は多い、信号はない、クルマは飛ばしている、のカイロの道路は、隙を見て適当に素早く渡らなければなりません。それがシロートには危ないと心配しているのです。確かにこれは大事業なのですが、ひとりで渡れないときは、きょろきょろ見回し、渡りそうな人を見つけてシンクロすれば大丈夫。と言っているのに、結局、弟さんのひとりに送ってもらうことになりました。道路を渡るだけのために(-_-;;
ホテルに帰って、洗濯したり、片づけをしていたら、真下から笛や太鼓の賑やかな音が聞こえてきました。花火も上がっています。賑やかを通り越して、騒々しい(笑) 何ごとかと窓から見下ろしてみたら、結婚式をやっていました! カメラを片手に4階から走り降りて、写真を撮らせてもらいました。勝手に撮っていいのかどうかわからなかったので、フロントの人に聞いたら、OKとのこと。しかし、フロントにOKを出す権利があるのかどうか(^-^;) まあ、おめでたい場面なので、親戚らしいおじさんも「どうぞ、どうぞ」という感じで、写真を撮りやすい位置を開けてくれたりして。めっちゃめっちゃ陽気な結婚式という感じです。お幸せに!
コプトの修道院
アレキサンドリアからカイロへ帰る途中に、コプト教の修道院がいくつかあります。メインストリート砂漠の道から、さらに砂漠の奥へと進まなければならないので、一般的に観光で行く人は少なく、ベテラン添乗員のゴーちゃんでさえ、行ったことがないという場所でした。エジプトはイスラームの国というイメージがありますから、キリスト教の遺跡を訪ねるという視点がないといえば、ないような気もします。たまたま日本語ガイドのミーナさんが貴重な13%(笑)だったこともあり、ここに立ち寄ってもらうことを思いつきました。
修道院の周りは、かつてはもっと閑散としていたそうで、修道士たちは砂漠の真ん中に庵をあみ、水を引いて草木を育て、野菜を育てて生活をしていたのだとか。最初は、木の棒が1本地面にささり、これが根を張り、葉をつけたことから神の啓示の地として、ここに修道院を開いたそうです。その木は、いまは青々と繁る大木になっています。いまも原則的には、そういう生活だそうですが、近隣の村の人口が増え、村のほうがどんどん修道院に近づいてくる……といった状況だそうです。修道院もとても立派になっています。そこで、修道士さんたちは砂漠のもっと奥にそれぞれひとりひとりの庵をあんで、神との対話を続け、修道院には週に1回ぐらい帰ってくるという生活だとか。
もっとひと気のない場所を想像していたのですが、大勢の、それも若者と子どもが集まっているので驚きました。いままでの、どの観光地より人がいっぱいいる……。彼らは、観光客ではなく、ある種の巡礼のようなものらしいです。大型バスを仕立てて全土から集まってくる模様。3月に、人々に慕われていた老齢の大司教さまが亡くなり、いまちょうど廟が完成しつつあるところなので、お参りの方々も多いようです。家族連れの姿も見かけますが、中高生ぐらいの団体がたくさんいるのは、一種の修学旅行のようなものかもしれません。きっと、キリスト教はキリスト教徒の子弟だけを集めた学校を持っているに違いありません。
ミーナさんは祭壇の前では、一心にお祈りをささげます。記念写真を撮っている人もたくさんいるので、写真は撮らせてもらいましたが、信者でもないのに、のこのこ内部を立ち歩き、写真まで撮ってなんだか申し訳ないような。あちこちにキリストとマリアの絵が掲げられてるのは、私たちにとってはイスラームよりは知っている感がある風景でもあります。かつて修道士が修行をしていた小部屋がひとつ公開されていますが、人がひとり座って身動きがとれないほどの狭さ。そこにランプがひとつだけ下がっています。食事をしたり、畑を耕したりしている修道士たちの人形も展示されていて、ときどき修道士さんたちが現れ、説明をしてくれたり。見学者への配慮もなされています。
最近、亡くなった大司教さまの廟は、完成間近とはいえ、まだペンキの臭いがして、作業中の梯子がかかっていたり。それでもお参りの人の長蛇の列です。紙にお願いごとを書いて、祈りながら棺の上に置いていく風習があるそうです。ミーナさんは、ちゃっかりもう紙に願いごとを書いていました。願いも祈りもしないで申し訳ないのですが、列の後ろにつき、しっかり新しい廟の見学だけはさせてもらいました。みんなのお願いごとは、修道士さんが集めて籠に入れ、どこかに運んでいきますが、すごい量のお願いごと! 大司教さまも神さまも、読むだけでもかなり大変そうですよ。中にはひとりで4枚も5枚もお願いごとを書いている人もいます。ミーナさんが何を書いたかは知りませんが、叶うといいですね。
修道院の端のほうには、テーブルと椅子がずらっと並んだホールのようなところがあります。食堂かと思えば店もなく、みなさんランチ持参で来るのかしらと思えば、そうではなく、ここで修道院が豆のスープとパンを無料で提供してくれるのでした。形式化しているとも言えますが、キリスト教らしい“施し”の精神だと思います。私たちも遠慮なく、豆のスープとナンをご馳走になりました。さっぱりした塩味の豆のスープはおいしい! 仕上げに紅茶までご馳走になり、信者でもないのに本当に申し訳ない(笑)
この豆や小麦は修道院が育てているものだったり、近隣から購入するものだったりするそうですが、運営のほとんどは寄付で賄われているそうです。帰り道の壁に「ドネイション・ボックス」と書いてある穴が開いていました。寄付ぐらいしなくちゃいけないんじゃない?と思ったのですが、みんなスタスタと早足で通り過ぎていくので、私もそのまま通過(-_-;; よく見ると、ミーナさんはじめ、多くの人が入り口に座っている修道士さんと言葉を交わし、ここでいくばくかの寄付を渡している模様です。ちなみに、ミーナという名前は、コプト教の聖人の名前なので、ここではあちらこちらで「ミーナ、ミーナ」と呼んでいる声が聞こえてきます。我がガイドさんを呼んでいるわけではありません(笑)、 ミーナさんは、「ここにはミーナがいっぱいる!」と笑っていました。