ビビンバ
今日は、3人の見えない人のお供で、買い物に出かけました。ミョンドンという繁華街で、たぶん韓国に行ったことのある人なら誰でも知っているでしょうという街です。通訳の方はソウルの新宿と言っていました。そう、日本に留学していたことがあるという若い女性が通訳として同行してくれたのですが、買い物に関する限り、多くの販売員の人が日本語を話せるので、通訳なしでも大丈夫みたいです。ただ、日本人観光客はさまざまな理由で減少していて、街を賑わせているアジア人は、ほとんど中国人だそうです。したがって日本語を話せる人より、中国語を話せる人のほうが多いのだとか。日韓関係が悪くなって日本人観光客が減っても、観光産業的には痛手はないということですね。
通訳の方がランチに連れて行ってくれたのは、石焼ビビンバの店です。中央に乗ってくる辛さの根源のペーストをよけてかき混ぜれば辛くないと言われて、それをすくい出してはみましたが、やっぱり辛かったのは、乗っている野菜なども辛い味付けがされているからでしょう。海鮮チヂミのほうは辛くありませんでした。よかった、食べられるものがあって(笑) 辛いのをまったく受け付けないというわけではありませんが、ものには限度っていうものがありますので(-_-;; しかしながら、通訳さんも韓国人でありながら辛いのは苦手とか。家庭環境によっては、辛い料理は作らないという家もあるそうで、韓国人=辛いのが好き、でもないのだそうです。
もうひとりの若い男性の通訳さんは、お母さんがベジタリアンだったらしく、おとなになって友人の家でご飯をご馳走になったとき、「肉ばっかり!」と大変驚いたそうなので、食べ物の好みは一概に国籍では語れないのでしょう。しかしながら、傾向としては、やはり韓国の食べ物は辛い!(笑) 何を食べても、とにかくキムチがついてくるということが、そのイメージを決定しているのかもしれません。どんな店に行っても、たいていキムチは食べ放題のようです。テーブルのお皿のキムチが食べつくされると、すかさずお代わりのキムチがてんこ盛りにされます(-_-;; 辛さに慣れればおいしいのかもしれませんが、まだ、いまのところ入門していません(笑)
図書館
その後、国立図書館に移動して、こちらでも視聴覚障害者用の施設を見学。tその前に学食みたいなところでランチをいただきました。2種類のランチで、私は辛くないという春雨ランチのようなものを選んだのですが、なんだかんだけっこう辛かったです(-_-;; これで辛くないなら、辛いほうはどれだけ辛いのでしょう? 怖すぎます(笑) ランチ終了後、図書館見学。音声ガイドで操作できるPCとか、弱視の人のためにすごく大きく字が拡大できるPCとか、器具がいろいろ取り揃えられています。韓国では雇用されているほとんどが弱視程度のようで、機械類も弱視を中心としているように見受けられました。こちらのグループは全員が全盲なので、拡大等に対する評価はできない模様です。
一通り部屋の中を見せていただいてから、交流会へ。韓国側は、20代から30代の若い先生が多く、全盲の人はひとりで、あと弱視の人が数人、残りは盲学校などで教えている晴眼の先生たちのようでした。基本的に私にとっては知らない世界なので、受け持ちの先生方を部屋まであんないして後、ずらかりました(笑) といっても、遠くへは行けないので、部屋の外に出て遊んでいたというか。じゃないと、また自己紹介ゲームとやらをやらされそうだったので(-_-;;
交流会終了後は、近くのレストランへ行って交流会の続き。連れて行ってくれるのは、韓国料理店ばかりなので、とにかく辛いとの戦い?(笑) この店でh、餃子鍋というのが出てきて、これは辛くはなかったです。しかしながら、餃子の大きさが普段食べているものの2〜3倍。そして、味は意外性満載ですっぱい! そういえば、韓国料理にはありましたね、すっぱい味の鍋って。私は初めての体験でした。
辛い!
学校の先生は、目が見えようと見えまいと、生徒であるときも先生になってからも、たぶん学校という社会しかしらない人が多いので、ある意味世間知らずといいますか、なんといいますか。事前に回ってくる連絡は、これ修学旅行? それともボーイスカウト? というくらい、細かい団体行動の規則で自分たちを縛り上げ、挙句に余興で自己紹介ゲームに、現地の歌を覚えて合唱とか……。うへっ、ついていけないと思い、キャンセルしようと思ったら、全盲の人12人に対し、晴眼(見える人)5人で、しかもそのうち1人は肢体不自由。いまでも1人で2〜3人を案内しなくてはならないのに、私が抜けたら……と思えば、断れませんでした〜(-_-;;
いつも気ままな旅をしている私は、金浦空港に着いて、バスを待つ間に、一緒に歩いてた人に「ちょっと外気温を見てくるね」と言って、外に出て、3分後に戻ってくると、もうバスが来ているという連絡があったらしく、リーダーという人に「勝手な行動をしないでください。団体行動を乱さないように。私たちは、あなたを5分も待った」と思い切り叱られました。はい、はい、悪うございました。けど、私にも言いたいことはあるぞ(笑)
ホテルに荷物を置いて、現地の教師の方々からのご招待で韓国料理の店へ行きました。豚の焼肉やらチゲ鍋やら、マッコリやら……。どれも辛くて、辛くて。おいしいのかもしれませんが、おいしいにたどり着く前に辛さにKOされます。向かいに座っていた私の担当の先生方も汗だくだくになって、がんばってた食べていましたが……、食べきれた人はいたのでしょうか?(笑) 本格的韓国料理を楽しむには、日本人の舌は、いささかセンシティブかもしれません(-_-;;
「永遠の0」
0は狭義にはゼロ戦の0(たぶん)、広義には”永遠の”がつくだけにさまざまな意味が含まれていそうです。空中戦は血みどろになってのた打ち回るようなシーンがないので生々しさがないぶん、かえって淡々と事実、ストーリーはフィクションであったとしても、描かれていることはやはりある種の事実ですから、それを積み上げていくというのは、声高に反戦を唱えるより響くものがあります。終戦を目前に特攻隊員として散ったひとりの青年を通して、時代の青年たちの雰囲気が伝わってくるという感じです。
先日、NHKスペシャルか何かで、特攻隊だった人の証言集のようなものをやっていました。たまたま見ていたのですが、まさにこの映画と同じ世界だったと気づきました。実はうちのジイサンも特攻要員だったのです。で、ちょっとテレビも映画も見てみたりしたわけです。理科系だったので有名な学徒出陣のときは動員で中島飛行機に行って、飛行機を作るほうに回ったらしいです。戦争末期には作るほうから乗るほうの訓練を受けて特攻隊要員にシフトし、前線にもっていかれる1週間ぐらい前に戦争が終わったと。聞いたのはこの話だけで、軍隊時代の話は、堅く口を閉ざしたまま他界しました。
知り合いの父上で、8月15日の午後に飛び立つ予定だったという人がいました。毎年、15日の朝は家族が起きないうちに家を出て、家族が寝静まる時間まで帰ってこなかったとか。どこへ行っていたのか、家族は誰も知らないし、聞くこともできなかったと言っていました。映画はひとりの青年を追いますが、特攻隊として死んでいった青年のひとりひとりにさまざまな苦悩があったのだろうということは容易に想像がつきます。そして、敗戦の日に姿を消すという生き残った人の話は、生き残った人たちにもそれぞれの思いがあることを語っています。人にも国にもいろいろな言い分はあるでしょうが、戦争をするのだけはやめてほしいですね。
それにしても安倍ちゃん、挑発的だね(笑) あなたにお参りしてほしいなんて、思っていない「英霊」も多いんじゃないかと思いますけど。
女性パイロット
いま全日空には女性パイロットが25人いるそうです。一度も乗り合わせたことはないような気がしますが……。そんなにしょっちゅう飛行機に乗れるわけでもないし、アナウンスはたいてい機長なので、乗り合わせていても気づかないだけかもしれません。ちなみに、その25人はまだみんな副操縦士なのだとか。こういうドラマを見せてくれることで、女の子も「パイロットになりたい!」という夢をもってもいいんだということがわかります。私が子ども時代には、パイロットは男の仕事という感じで、女性がパイロットになるなどということは夢に見ることもなかったのではないかと。いま、子どもだったらなぁ〜。とはいえ、飛行機が好きでも、あんな難関を突破してパイロットになれる可能性は自信をもってゼロといえるので、同じか?(笑)