私が一番行ってみたい国でした。そして、ついにちょろっと行ってきてしまいました。国土は日本の2倍、中央部と西側を急ぎ足で走り回っただけですが、トルコのもついろいろな表情を垣間見ることができました。思い出したことだけ(笑)、ご紹介します。(上の写真はイスタンブールのアヤソフィア聖堂)。

目次

続きを読んでくださるときは「NEW」ではなく「OLD」のほうをクリックしてください。この日記に書かれている料金等の数字は、2008年3月中旬のものです。 
プロローグ
昨年いろいろなことがあってバタバタとしていた代償として、...
トルコへの第一歩
イスタンブールで乗り継いでアンカラへ。空から見たイスタン...
アンカラ市内
郊外のホテルを出発してアンカラ市内へ。人口約320万人のトル...
アタチュルク廟訪問
霊廟は広々として、どこも等間隔に衛兵が立っている。「人形の...
トルコ式トイレに遭遇
ここで、早くもトルコ式トイレに遭遇。トルコ式というのは、...
トルコ人は親日的
この朝、アタチュルク霊廟にはちょうどどこかの国の要人が表...
アナトリア文明博物館
次に訪れたのはアナトリア文明博物館。ここにはアナトリア(ト...
鉄板焼ケバブ
博物館を後にして、トルコで初めて食べるランチは、鉄板焼き...
トゥズ湖
カッパドキアへ向かうドライブの途中でトゥズ湖へ立ち寄った...
キャラバン・サライ(隊商宿)跡
途中に保存状態がいいというキャラバン・サライ(隊商宿)跡に...
ガイドさんたち
夕方、カッパドキアのホテルに到着。長いトルコ観光第一日目...
いまどきのトルコ
トルコでは大学の女子大生が構内でスカーフをかぶることが解...
トルコの通信事情
自分の部屋に帰ると、同室の連れはもう爆睡しているらしく、...
アザーン
トルコの大地を踏んで2日目(寝ただけを入れると3日目)は、カ...
野良猫たち
カッパドキアで泊まったホテルは日本でいえば小規模なビジネ...
カイマクル地下都市
有名な巨大地下都市カイマクルは、ホテルから徒歩で10分くら...
ウリマクル?
「おみやげをカイマクルのは後で」という一言を付け加えるのを...
カッパドキア奇岩地帯
カッパドキアというのは、「美しい馬」という意味で、地方の名...
目玉のお守り
目玉の木に下がっていたのは、トルコのいたるところで目にす...
のびーるトルコアイス
いろいろな奇岩の風景を次々にめぐり、それぞれ特徴的で驚き...
ローズバレー
ちょっとバスを停めてくれたビューポイント、ローズバレー。...
民家でチャイをいただく
洞窟の中に実際に住んでいるご家族を訪ねて、洞窟住居の暮ら...
キノコ岩
カッパドキアといえばキノコ岩というくらい、この地方を象徴...
ギョレメ野外博物館
ギョレメの谷には30以上の岩窟教会があり、このあたり全体が...
ジュータン攻撃
お約束の「お買い物の店へのご案内」。最初はトルコ絨毯の工場...
洞窟レストラン
この日のランチは洞窟レストランで。これは天然のものではな...





トルコ人は親日的

この朝、アタチュルク霊廟にはちょうどどこかの国の要人が表敬訪問していて、花輪を持った人々が行進していた。とくに警備があったわけではないので、要人と言っても国家元首クラスではないのだろう。衛兵の交代というのも眼にしたが、そんなに大げさなものではなく、兵士があっちからこっちへ動くだけ。普通は時間にならないと行われないのだが、バリッシュさんが交渉してくれたので、サワリだけ見せてくれたらしい。
 
廟の内部は柩が置かれている。この建物を取り囲んでいる回廊がアタチュルクの功績をたたえ、トルコ建国の歴史を語る博物館になっている。兵士の写真を撮ろうと声をかけた人に、何人かの兵士が寄ってきて一緒に記念撮影をしようという。実にフレンドリーな兵隊さんだ。とくに日本人には親切なのだそうだ。
 
明治の初期にトルコの軍艦が日本近海で沈没したとき、政府がトルコ人乗組員を助けて、イスタンブールまで送り届けたという話があるらしい。「らしい」というのは、私はほとんど知らなかった。そういえば、最近、和歌山県串本町樫野沖で1890(明治10)年に沈没したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遺品の引き上げを実施しているという話題を報道番組で見た記憶がある。
 
バシャックさんによれば「日本も飢饉で大変だったときに、とてもトルコ人に親切にしてくれた。トルコ人はその恩を忘れていない。小学校で習う」とのこと。「だから、トルコ人はみんな日本が大好きです」と言う。もっともパックツアーでは観光産業に従事している人以外とはほとんど接触しないという感じだから本当の国民感情はわからないが、バスで街を走っていても歩道から子どもたちが手を振ってくれたり、路線バスの中から手を振ってくれたり、信号待ちで隣のクルマからおとなが手を振ってくれたり……。単に観光客を歓迎しているのか、(バスに日本語が書いてあるから)日本人とわかってなのかはわからないけれど。
 
100年も150年も前の話を、まあ、なんて義理堅い。いや、4,000年も5,000年もの歴史をもつ国にとっては、100年なんて、つい昨日のことなのかもしれない、とか。そして、湾岸戦争のときに自衛隊が行くところは、「行く」というだけでつねに“非戦闘地域”だったはずが、戦闘に巻き込まれそうなピンチに陥ったとき、自衛隊を助けたのはトルコ軍だった、と。「恩返しです。そのことで小泉首相(当時)が、トルコにお礼に来た」という。知ってた? 勉強不足なだけかもしれないけど、ツアーの日本人はたぶんほとんどの人がまったく知らなかったと思う。第一、小泉首相的には詳細を報道させるわけにはいかない内容だったりもするのではないか。そういう意味では、トルコ人は日本に非常に好感をいだいてくれているのに、日本人は感謝をしていないどころか、トルコそのものを知らない。
 
また、トルコ人も日本人も同じモンゴロイドで、中央アジアを起源にし、日本人は東に向かった民族で、トルコ人は西に向かった民族。ルーツは同じで、日本人は太陽を(日本の国旗)、トルコ人は月と星を(トルコの国旗)と、分け合ったのだともいう。国旗にこじつけた話ではあるが、トルコ人は口を揃えてそういった。
 
モンゴロイドかどうかは知らないが、トルコ人はやっぱりアジア人っぽい。背格好は日本人と (もちろん、韓国人とも中国人とも) 同じくらいで、欧米人よりスモールサイズのようにお見受けした。男性でも170センチあるかなし。たぶん、ほとんどはなし。がっしりした筋肉質の人が多い。私は161センチだが、女性で私より背の高い人はあまり見かけなかった。男女とも目も口も大きく、とくに鼻が大きいのが印象的。高い、というより、大きいのである。
 
帰国してから「トルコに行ってきた」というと、「危なくないの?」という反応が多かった。「それ、どこにある国?」と言った知人さえいたのである。まあ、それは極端だけど、トルコと日本、親近感には両国でずいぶん温度差がありそうだ。 トルコは(イラク国境付近をのぞけば)思いっきり安全である。

 

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アナトリア文明博物館
トルコ式トイレに遭遇