染井墓地
勢いで巣鴨探索の続きです。本妙寺の隣には都営の染井墓地があります。都営の霊園の中ではもっとも小さいそうですが、普通のお寺のお墓所しか知らないものにとってはでかっ! ひろっ! という感じ。
ワンブロック向こうには国道17号線が通り、道の向こうはとげぬき地蔵の賑わいがあるのに、ここはとても静かで、都内なのに土にぺんぺん草がはえていたりして、どこへ来ちゃったんだろうという風情です。
ここの墓地は墓所の区画が広く、墓石も大きいものがたくさんあります。なかには「男爵」とか「正三位」「従五位」なんて肩書きの書いてある墓碑もあり、歴史を感じさせます。高村光雲、高村光太郎・智惠子夫妻のお墓や、岡倉天心、二葉亭四迷のお墓もこちらです(観光ガイドか!)
染井墓地の隣には、芥川龍之介一家や谷崎潤一郎の菩提寺「慈眼寺」や田沼意次のお墓がある「勝林寺」などもあり、このあたりはけっこう史跡散策のできるところなのでありました。
とげぬき地蔵
昨日は、巣鴨まで行ったついでに、おばあちゃんの原宿?を歩いてみました。とげぬき地蔵の名で親しまれる萬頂山高岩寺(東京都豊島区)は、1596年に江戸湯島に開かれ、その後、下谷屏風坂に移り、1891(明治24)年に巣鴨に移転。心のトゲ、心の罪(トガ)までぬいてくれるといわれて信仰をあつめています。毎月4のつく日(4、14、24日)が縁日で、参道にはたくさんの露店が並び、昔ながらの門前町の風情です。
境内にはお守りやミニチュアのお地蔵様などを売る露店が立ち並び、易者や家相見などもいて、けっこういろいろな人が相談に訪れていました。露店はお好み焼や焼きそば、団子などやはり食べ物屋が多いですが、地方の直産物や、おばあちゃんの原宿といわれるくらいでやはり高齢者の姿が多いせいか、健康関係のグッズや民間薬のようなもの、健康食品などの店が目立ちました。
他の縁日との大きな違いといえば、おもちゃや綿飴といったお子様向けの店を見かけなかったことでしょうか。「原宿観光」でしょうかね、カメラをもった若い人たちもけっこういました。お好み焼などを買い求めて、郵便局の前の空き地で食べていたりする人も多かったし(笑)
参道の露店の中には昔ながらのメリヤスの下着(ババシャツっていいますかねぇ)を売るお店もいくつか見かけましたが、最近のおばあちゃんは「原宿らしい下着」にはあまり興味がないらしく、足を止める人はみかけませんでしたねぇ(^_^;)
境内には、「洗い観音」があり、白布で自分の病気の部分や痛いところをこすると、効き目があるといわれています。縁日のこの日は順番待ちの長〜い列が続いていたので、なにごとによらず並ぶのが嫌いな私はこすってきませんでした(^_^;)
並んでいるのは高齢者ばかりではありません。
この洗い観音をとげぬき地蔵と勘違いしている人も多いらしいです。洗い観音をこすって、ご本尊をお参りしないで帰っちゃう人もいるとか。現在の洗い観音は2代目だそうです。昔はタワシでこすっていたので、1代目はすっかり摩滅してしまい、後ろの厨子に納められているとのこと。大祭(1月24日、5月24日、9月24日)には、10万人以上の参詣客が訪れるそうです。
お墓参り
今日は、お彼岸最終日ということで、自分ちのお墓参りに行ってきました。何年ぶりになりましょうかね? わが家の菩提寺は徳栄山本妙寺(東京都豊島区)です。振袖火事(明暦の大火)の火元となったお寺として歴史に名を残しております(-_-;)
でも、これは濡れ衣だという説もあるのです。本当の火元はこのお寺の風上に隣接してあった老中安部忠明の家だったというものです。江戸中を焼き尽くし、10万8000人の命が奪われたという大火の火元が老中の屋敷だとあっては幕府の威信にかかわるというので、幕府から本妙寺が火元の汚名を引受けてくれという要請があったと。これは、本妙寺側の言い分です(^_^;)
徳栄山という名称は、徳川家が栄えるという意味で、もともと徳川にゆかりの深いお寺なので、阿部家を失火の責任から救うことに一役かったというのも、あながち単なる責任逃れとも思えないところがあります。
1590年に徳川家康公が関東奉行として江戸城に入城するのと同時に、一緒に三河岡崎から江戸城清水御門内の礫川町へ引っ越してきたお寺で、その後、飯田町、牛込御門内、小石川、本郷丸山へと移転、1657(明暦3)年正月18日、明暦の大火によって焼失、1910(明治43)年に現在の巣鴨へ移転しています。
そんないきさつで、幕臣も多く埋葬されているのではないでしょうかね? 有名な人では北辰一刀流の千葉周作、名奉行遠山金四郎(ほんとに実在したのね、遠山の金さんって)、歴代本因坊のお墓などがあります。明暦の大火の供養碑もあり、最近はけっこう史跡めぐりの観光スポットになってたりして?(笑) 昔はなかった案内板、矢印なんかが整備されておりますよ(^_^;)
鐘楼もあるのよ。並んでる桶。
かつては身分の高い人は上のほうの場所ででかい墓所、だんだん墓石も小さくなって、士族が終わるとがっくんと階段になって下は町人、百姓……みたいな。身分階級差別の具現みたいな構造でございました。最近は、裏手に新しいお墓所なんかも造成されたので、それほどの露骨さは感じなくなりましたが、まあ、階段の多い墓地でございますね。
入り口には家紋、家名入りの手桶などもご用意されております(笑)。まあ、どれを使ってもいいんだけどさ。こういうのが古いお寺らしいところかもしれませんね。作務衣を着た若い修行僧などの姿も見られましてよ。火事を出したと教科書にも載っちゃうようなお寺だけに、お線香の火の管理なんかはけっこう神経質? ちゃんとお線香入れを用意しています。実は、最近のことだけどね(笑)
春財布
春に財布を買うと縁起がいいといわれます。これは春財布=張る財布、つまり財布がふくらむよという語呂合わせ。お金がたまるという期待を込めて、せめて財布ぐらいは新しくしようよという、庶民のせつない夢なんですね。
かつては、お彼岸の縁日に財布を求める人が多かったそうです。もともとは節分以降、つまりは2月初旬からいまごろまでのお買い求めグッズ。秋になると「空き財布」とかいわれて、あまり縁起がよくないという説と、「実り財布」とかいって、やっぱり縁起がいいという説があるみたいです(^_^;)
黄色い財布が縁起がいいとか、お札を下に向けて入れると出て行かないとか、「お金がほしいよ〜!」系の縁起はやはりたくさんあるようです。財布につける「根付」は、打出の小槌か、カエルが多いですね。出て行ったお金が帰って来るようにと。ちいさなカエルをお財布につけるのではなく、お財布の中に入れておく人も多いようです。
犬の「おかあさん」
犬を散歩させてる人たちが立ち話をしているとき、「○○ちゃん(犬の名前)のおかあさん」とか「××ちゃんのパパ」などと呼び合っているのをよく聞きます。犬も家族の一員で、我が子のように可愛がっているのだから、みんな何の疑問もなくそう呼んでいるのだろうと普通に思っていました。外で飼っている大型犬より、室内犬の飼い主に多い現象のようですね。
ところが、「○○ちゃんのおかあさん」なんて呼ばれると、「私は犬を産んでなーい!」と気分が悪くなるという愛犬家がおりました。室内犬で、すごく可愛がっているけど、産んだわけじゃなくて飼っているのだと主張しております。ごもっともでござります。見識がある!
別の友人に聞いてみました。すると「私はこの子のおかあさんじゃない」というので、ああ、そういう人ってけっこういるんだな、と思ったら、「おかあさんは姉で、私はおねえさん」と言われた。うーむ、犬好きの人って、やっぱりずっぽりハマっちゃってる人が多いようで(笑)