川崎大師「風鈴市」
ちょっともどってきた暑さに誘われて、川崎大師の風鈴市をのぞいて来ました。18日からはじまって、23日まで開催されているそうです。今年で12回目だそうです。案外。新しい催しなんですね。
境内の一角に設けられた特設会場には約800種、12,000個の風鈴が全国から集められ展示即売されているそうで、今日はいい風が吹いていたこともあって、ちりりりーんと涼しげな音をたてていました。
一口に風鈴といっても、まあ、さまざまなものがあるんですね。素材もガラスあり、陶器あり、竹細工あり、鉄あり、墨あり、見て回るだけでも楽しめます。それぞれの産地や説明書きもあるので、ふーん、なるほど〜なんて。
沖縄のビードロ風鈴
大分の別府竹ふうりん 江戸風鈴 山形の山形ふうりん
買い求めている人より、「ふーん」「はーん」と眺めて、写真に撮っている人のほうが(私のように)多くて、商売になるのかいな?とか(笑) 1個何百万という豪勢な風鈴もどこかに展示されているらしいのですが、どこだかわかりませんでした(-_-;) まあ、風情を楽しむもので、値段じゃないやと探すのはやめちゃったんですけど。
大阪の寄せガラス風鈴 熊本の天草藍の風鈴 静岡の竹千筋ふうりん
青森の花笠ふうりん 秋田の御殿まりふうりん 山口のふぐ風鈴
焼きそばやたこ焼きの屋台も出ていましたが、人だかりがしているので行ってみると、猿回しをやっていました。懐かしいものを……と思ったけど、実は初めてみるものでした(^_^;) なかなか芸達者なお猿さんで。
川崎大師といえば、とんとこ飴が有名ですね。川崎大師の駅から参道入り口まではけっこうな道のりなんですが、参道入り口が近づいてくるとトントコトントンとリズミカルな音が響いてきます。初めて行ったときは「なんの音だろう?」と思ったのですが、道を曲がって参道に入るとその秘密がとけます。
ながーい飴を包丁でトントンと刻んで、一口大にした「とんとこ飴」を作りながら、売っているのでした。その包丁捌きが実に軽妙でリズミカルなので、しばし見とれてしまいます。どんな味かとついつい買ってもみたくなる(笑) 実は、これとは別な薬草入りの咳止め飴が“本当の”名物らしいんですけどね。
長命寺
弁財天は恋愛成就、学問成就の神様で七福神の中で唯一の女神様です。元はインドの水神で、どういうわけか後に学問、芸術の守護神となりました。もともとの出身が水の神様だったからでしょう、水辺に祀られていることが多いようです。
長命寺本堂の横には「長命水」という井戸があります。三代将軍家光が鷹狩りのときにお腹が痛くなり、ここの井戸水を飲んだらおさまったことから長命水と名づけられたそうです。これがのちに寺名となったそうですが、いまある井戸は新しい感じなので、改装したのでしょうね。長生きしたいというご希望のあるかたは、飲んでみたくなるのでは? 私はあまり長生きしたくないので、写真だけ撮りました。
長命寺は雪景色が美しく風情があることで有名だったということで、雪景色を詠んだ松尾芭蕉の雪見の句碑があり、十返舎一九の狂歌碑などのたくさんの石碑が残されています。
実はここは、門前にある桜餅屋のほうが有名? 江戸時代から続いている有名なお店です。1717(享保2)年、初代山本新六が隅田川土手の桜の葉を集め、塩漬けにして桜餅を考案して売り始めて大ヒット、それからロングセラーを続けているという「山本や」です。いまでも隅田堤の桜と門前の桜餅、ともに向島名物といえるでしょう。この店には正岡子規が下宿していたこともあるとか。
大変な地震被害のようですね
断水しているところがまだ相当数にのぼるようで、昔のぽっちゃん便所ならいざ知らず、いまはトイレひとつにしても水が必要なんですものね。電気やガスも必要だけど、他のもので代用できる場合もあります。でも、水はねぇ……。用心のいい人は、ペットボトルの水を大量に備蓄していたりするのかしら?
あちこちの地方自治体や団体から次々に救援物質や人材が派遣されていくのを報道でみているだけで、感動してしまうことがあります。まだ、人間って捨てたもんじゃないよね。人のために役立とうと苦労を買って出ている人々がいっぱいいる!
国内でも海外でも、災害のときにいちばん必要とされるのは医療従事者でしょうね。医者だったら、看護士だったら、何かの役に立てるのに。そうではなくても、建築でも土木でも、何らかの専門技術を持っていたら役に立てるのだろうなぁと、何の役にも立てない自分の無力さをつくづく感じます。肉体労働でボランティアと思っても、あちこちの関節が故障してる年寄りじゃ、足手まといになるばっかりだろうし。無駄に地球資源を消費して、二酸化炭素排出してるだけじゃないか、自分(-_-;)
浜降祭
台風の次は地震! 中越の方は、前の地震から完全に復旧する前にまた……という感じで、本当に大変ですね。心からお見舞い申し上げます。私は、上中越、北信にけっこう知り合いが多くて心配しましたが、幸い、知人友人はみんな無事でした。
そんな大変なことになるとはいざ知らず、早朝から茅ヶ崎の「浜降祭」を見物に行ってました。午前3時過ぎに出て、帰ってきたのが9時前。地震のときは爆睡していて、関東もやや揺れたようですが、まったく気づきませんでした(-_-;)
「浜降祭」は、茅ヶ崎の主だった神社がすべて神輿を出し、総勢32基(とアナウンスされたような気がしますが)で、町中を練り歩き、最後は西浜で海の中に担ぎ込むという壮大なお祭です。
一番初めにスタートする神輿は午前2時だそうです。そして次々にいろいろな神社の神輿が合流して5時から6時ごろに浜に集合します。ずらっと並んだ神輿は壮観。1基ずつ浜を練って海に入るということになりますが、今日は、台風一過、大波がドカーンという感じで浜に打ちつけていたので、海に入るのは禁止になっていました。
海に入るのは「禊」と呼ばれる行事で、これによって神輿が清められるのだそうです。「どっこい、どっこい」という勇ましい掛け声は相州神輿独特のもの。この祭りは1978(昭和53(年に神奈川県の無形民俗文化財に指定され、85年には「かながわのまつり50選」に選ばれています。
神輿は砂浜を練り歩くのですが、中でも厳島神社の神輿は波打ち際スレスレまで突入。私も含めて見物人もカメラを構えて追いかけて行ってわけですが、そのとき、ザブーンと特大の波が……。「うわぁ〜」、なんて逃げてももう遅い! みんな膝下までしっかり波に洗われました。「どんだけ〜!」って感じです、冷たいし(-_-;)
儀式が終わると、神輿は再び神社にもどっていきます。かつては神社の氏子のいる集落を廻ってから神社に帰ったそうですが、いまは交通事情が許さないのでしょうね。地元では人気のあるお祭のようで、早朝から徒歩で、自転車で大勢の人が浜に向かっていきました。露店もたくさん出ていて、お祭で使ったエネルギーをたこ焼きやお好み焼きで補充? どの店も行列ができていました。
私たちも広島焼きをゲット。海の見えるテラスで食べたのですが、目前に大きな波が打ち寄せ、ときどき波しぶきが飛んできました。この広島焼き、塩味?(笑)
「縁日ガイド」にも祭りの概要と写真をアップしました。そっちも見てね。
大雨と台風
東海、関東はこれからが本番でしょうか。少し進路が東に寄ったようで、関東直撃ということはなくなりそうですが、もうすでに東京でも土砂降りです。我が家のすぐ裏に川があるのですが、みるみる増水して、もはや河原が消えました!
その昔、この川はよく氾濫してくれて、我が家も何度か床上浸水をこうむったことがあります。床下浸水は数え切れないほど。東京都の防災毛布もらって、高台に逃げたなぁ。梅雨時の浸水は、台風が過ぎ去ったあともカラッと晴れないので、床が乾かなくて、なかなか平常の生活に戻れないんですよね。畳を机の上に上げたまま数日とか……。子どもの頃、積み上げた畳の一畳に妹とふたりで寝て、畳の上から落下し、したたか頭を打って眼を覚ました記憶があります。それからバカになりました(-_-;)
床上浸水なんて、体験した人しかわからないと思うけど、水が引いたあともドブ臭かったりで(いまは下水道がちゃんとしてるし、川の水質汚染も軽減しているから、そうでもないのかもしれないけど)、掃除して、住めるようになるまで大変なんですよ。
家屋が流されたり、壊れたりした方々に比べれば、床上浸水なんて、まだましなほうかもしれませんが、やっぱり川を眺めつつ、溢れてくれるなよ! と願います。護岸工事が完了してから、もうずいぶん経ち、その後は氾濫したことはないのですが、これはもうトラウマです。川から目が離せません(^_^;)
雨が降らなければ降らないで、これも困ったものなのですがね。モノには限度ってものがあるだろう! と雲に向かって嘆いても、言うことを聞いてくれるわけでもありませんしねぇ。いずれにしても、もうこれ以上、被害を出さずに、とっとと太平洋の彼方に消え去ってもらいたいものです。