日蓮上人祖廟
鮮明に記憶に残っている寺院もあり、印象の薄いお寺もあり。108寺も回れば、中には「行きましたっけ?」というのも出てきます(笑) 成果といえば……、やけに甲府近辺の道路に詳しくなったとか(^_^;)
最後の久遠寺は、本堂もさりながら日蓮上人祖廟、つまり「上人の霊廟」がいいよ」と、何度も身延山に参っている日蓮宗の破戒坊主(笑)に言われていたので、今回はそちらに足を延ばしてみました。
足を延ばして……といっても、まあ、隣にあるわけですが、いかんせん広大な寺域。徒歩だったら、絶対に「行く元気がない!」と思うほど、駐車場からの相当に距離もあり、しかも思いっきり坂道です。駐車場の売店の方に伺ったら、狭いけどクルマの通れる道があるとのこと。すれ違いはできないけれど、奥はちょっと広くなっており、平日ならたぶんクルマで行っても大丈夫とのこと。たとえ延々バックが待っていようとも、ためらいなくエンジンをかけました(^_^;)
幸いすれ違いもなく、御廟に着くと、廟といってもなまじのお寺よりずっと広く、立派な坊があります。久遠寺に来て、ここをお参りしないのはもったいない! 大勢の人が訪れる本堂周辺と違って、こちらに来るのは熱心な信徒さんだけなのでしょう。静かで、川のせせらぎが聞こえ、手入れの行き届いた参道は風情があります。
お経を寄進した方がいたようで、霊廟ではちょうどお経があがっていました。日蓮宗のお経は木魚の音が甲高く、どちらかという賑やかなお経のように感じられますが、ここは鉦の音が深く、木立に染み入るようないいお経でした。お経をBGMにそぞろ歩くという不埒な観光客ですみませんという感じ(笑)
久遠寺を訪れたときは、ぜひ立ち寄ってみてください。お勧めです。
大国魂神社「一の酉」
府中に行く用事があって、ふらふらしていたら、大国魂神社の賑わいに出会いました。今日は「一の酉」だったのですね。浅草の鷲神社に比べれば、熊手を売っている露店は少ないのですが、参道にはけっこう屋台も出ています。私が行ったのは昼間ですが、夕方になるにつれ、だんだん人出が増えてきそうです。
熊手が売れるとシャンシャンと手打ちがあるのはどこも同じでしょうが、こちらでは拍子木を打ってる店があって、なかなか賑やかでおもしろかったです。景気が悪くて、この場合、熊手は売れないのでしょうか、それとも、だからこそ売れるのでしょうかね?
舞台では里神楽が演じられていて、若い人たちもけっこう集まっていました。じっと見ている人は少なくて、ケータイでパシャッと写真を撮るとすぐにいなくなってしまうのですがね(笑) 私もそうだから、他人のことは言えない(^_^;)
大国魂神社の本殿の脇に大鷲神社があります。小さな社で、いつもはひっそりとしており、お参りする人も少ないのですが、今日はこちらが主役。明々と提灯が掲げられ参拝者を集めていました。
境内で小規模ですが、菊展が催されています。去年はずいぶん菊展を見て歩いたのですが、今年は初めて見ました。春には桜、秋には菊。日本人の花に対する感性は、ここに集約されるのでしょうか?
久遠寺(甲斐霊場第108番)
甲斐霊場巡りの終着点、身延山久遠寺にやっと行ってきました。前に行ったことのあるお寺だったこともあり、ついつい延び延びになっていたのですが、107で尻切れトンボにするのも気持ちが悪いので、「そろそろ山も色づくころかな」を見込んで決行。いちばんきれいだったのは甲州街道の街路樹で、山はもう一つというところでしたが。
やっぱり日蓮宗の大本山だけあって、大きなお寺ですね。本堂がとりわけ壮大というわけではありませんが、山全体が寺域というのがスケールの違いを感じさせます。本堂のあるところだけでも、本堂、祖師堂、仏殿、納牌堂、梵鐘と建ち並んでいて、境内はちょっとした運動会ぐらいできそう(^_^;)
1624(寛永元)に造られたという梵鐘は、かつては明六つ、暮六つという感じで近隣に時を告げていたようですが、いまは大晦日に撞かれるだけのようです。落ち葉を掃いていた寺男(というのでしょうか)のような方が、「除夜の鐘を聞きたかったら、大晦日の朝から来てなきゃ、ダメだよ」と教えてくれました。さぞかし、混雑するのでしょう。
クルマで裏から回ってきちゃったので上りませんでしたが、正面の石段は287段あるそうです。「菩提梯」と呼ばれているのだとか。400年近く前に、信者が先祖の菩提を弔うために発願し、数代かけて完成したものだといいますが、いや、菩提は弔わなくても……と思わず尻込みするような急な石段です。ここまで来るまでにも山門からずいぶん坂を登り、石段を踏みしめという感じですから、クルマのない時代は信心だって健康じゃなくてはできなかったんですよね、きっと。
石段を登りきったところに新しい五重塔が完成しています。明日(11月5日)がお披露目だそうです。かつて身延山には五重塔があったそうですが、何度が火災で焼失。やっと新しい塔が復元されるというので、竣工式が執り行われるのだとか。ご落慶法要は来年の5月だそうです。きっと多くの方々が駆けつけ、にぎわうことでしょうね。ということで、その日は避けて今日にしたという(笑)
裏手のロープウェーで山頂まで行ってみました。ここには奥の院、思親閣があります。ロープウェイから眺める山々は秋の気配を濃厚にみせつつ、まだ持ちこたえているといった風情。一面の紅葉という風景ではなくてもなかなか風情があります。自分の乗っているロープウェイの影がくっきりと木々の上を走っていくのもおもしろい風景でした。
小春日和だった今日は、空も春霞のようで、ちょっとぼんやりはしているものの富士が姿を見せていました。雪を頂いているときのほうがきれいですが、改めて稜線の美しい山だなぁと感じます。
樹齢700年を越す「日蓮お手植えの杉」というのが4本、残っています。日蓮上人って、なんとなく伝説の人物のように感じていたのですが、確かに「ここで生き、笑ったり、泣いたりしていた生身の人だったんだ!」と太い杉の木を見て改めて思ってしまったのでした(^_^;)
箱根大名行列
雨ニモ負ズ風邪ニモ負ズ、箱根大名行列を見に行ってきました。雨は降っていませんでしたが、どんよりとした空で、なんとなく生暖かいような風が強かった文化の日の箱根。今年で55回目を迎えるという恒例行事です。余談ですが、箱根登山鉄道は今年で120周年だそうですね。1888(明治21)年創業! こっちのほうがすごいのではないかと思ったりしました。
それにしても大混雑。私にしてはちょー早起きで出かけて行ったつもりですが、小田急線のロマンスカーは満席でした。しかたがないので、普通の急行に揺られて箱根湯本へ。ちゃんと午前中に着いたのに、沿道はけっこうな人の波です。駅は、人間が歩くだけでも交通規制が行われるという案内が叫ばれています。
駅前で地図を貰って、すでに出発している行列を前から迎え撃とうと出発。途中でおいしそうな豚汁とおにぎりを売っている屋台に出会い、そこでみごとに撃沈されました(笑) 肌寒い中での豚汁は本当にうれしいものです。やっと箸を置いて前進すると、行列はすでに昼休みに入っていました(^_^;)
休憩を終えて行列が出てくるのを待って、見物人がそろそろ座り込みを開始しています。三列目ぐらいにスペースを確保して、待つこと1時間。前座じゃないですが、よさこい踊りと太鼓を披露していただきました。そして、ついに「下にー 下にー」と大きな掛け声が聞こえてきます。わくわくしていると、その声は広報車のスピーカー(笑) これはちょっと……、いかがなものでしょうか(笑)
まず登場したのは、火縄銃の操作方法を保存するために発足したという「小田原北条鉄砲衆」。火縄銃の実演をしてくれたのですが、これがけっこうすごい音で、最初の一発は本当に飛び上がりそうになりました。かなり迫力があります。
続いて、露払いを先頭に、六尺、挟み箱、毛槍を持った奴さんの登場。歩き方が独特でおもしろいですね。挟み箱と毛槍を空中に投げて相手が受け取るのはすべてのタイミングが合っていて、見ごたえがあります。拍手がわきました。そして弓隊、鉄砲隊、徒士隊と続き、お小姓と大名の駕籠とそれを守る家老たち、奥女中、長持などがやってきます。正直にいうともっと会津祭りのような長い行列を予想していたので、ちょっとあっけなかったですが。
江戸時代、大名行列のお供の数や規模は、各大名の領地の石高によって決められていたそうです。この箱根大名行列は、小田原藩11万3000石の格式にならっているとか。まあ、加賀百万石とか篤姫のふるさとの90万石とかに比べれば大藩ではありませんから、こんなものなのかもしれません。
行列の末には、地元の小学生や立教大学、在日米陸軍軍楽隊などのマーチングバンドが続いています。そして、最後を飾るのは箱根湯本温泉郷の芸妓さんたちが踊る「ヨッシャ踊り」もパレードします。
パレードが行っちゃっても道がふさがれているので身動きが取れません。パレードとは逆方向に歩いて駅を目指すと旧街道の石畳の坂道に出会いました。箱根の紅葉はまだもう少し先という感じでしたが、古の人々がきっと速足に通り過ぎたに違いないと思われる石畳を踏んでの散策も楽しいものでした。
駅に着いたら相変わらず行く人と帰る人でごった返しています。箱根に電車で行ったのは実は初めてで、箱根登山鉄道にも乗ってみようと思っていたのですが、あまりの人の多さにしっぽを巻いて、そのまま帰ってきてしまったのであります。
風邪ひいたかも
今日は幼なじみの面々とわーわー過ごしたのでした。天保13年生まれの幼なじみってすごいでしょ? みんな超人ですね(笑) 私以外は、みんな昭和生まれらしいです。
はやめのパブロン飲んで、さっさと寝たほうがよさそうですね。