豆乳の朝食
今朝早く、台湾人の友人が訪ねてきてくれ、朝食をご馳走してくれました。地元の人しかいかないファストフードの店に行ったのですが……、メニューがまったく読めません。というか、字は読めても内容がまったくわかりません(笑) 「冷たい豆乳は甘い」、「温かい豆乳は塩味」。友人たちは甘いほう、私は温かいほうを頼んでみました。主食は肉まん(のようなもの)と揚げパン(のようなもの)です。冷たいのは白い豆乳のイメージですが、温かいほうは固まって、ゆるいお豆腐のようでした。
麺類やお粥、サンドウィッチなどもありますが、この「豆乳+揚げパン」の朝食を摂る台湾の人は多いように感じられます。以前にここに来たときは、友人の家に泊まったので、毎朝、朝食は「これ」でした。毎日、食べているとちょっと飽きますが(笑) 食習慣というのはおもしろいものです。白いご飯とお味噌汁ならば毎朝でも飽きないのにねぇ(^ ^;)
この人は気功治療の達人で、ホテルの部屋でマッサージをしてもらい、さらに持参してきてくれた高山茶を入れてもらい、ずいぶんまったりした朝をすごさせていただきました。もつべきものはお友だち?(笑)
故宮博物院
故宮博物院は相変わらず、いつも混雑しています。今日は月曜日で庭園はお休みとのこと。それでもすいていたほうかもしれません。それでも大型バスが次々と到着していました。海外からの観光客ばかりではなく、国内の人も多く訪れているようでした。初めて行ったわけではないのですが、前回は大昔のことで、もう記憶は定かではありません。はじめの一歩からという感じで隅々まで回ってみました。なんと3時間半以上、歩きっぱなし。出口のコーヒーショップに崩れ落ちたときは足が棒になるとはこのことかと実感しました。広いし、こういう展示物を見て歩くのは待ち歩きよりも疲労度が高い感じです。
有名な翡翠の白菜「翠玉白菜」は、「あれ、こんなに小さかったっけ?」と(笑) インパクトが強いのでもっと大きなものと記憶が勝手に修正されていたみたいです。年代別に分けられた陶器、磁器はほんとうに見事。刺繍、織物も目を見張るものがあります。場内撮影禁止なのが残念です。ガイドブックに載っている写真で我慢しましょう(笑) それにしても、細かい細工が多くて驚かされます。中国人って手先が器用なんでしょうか。素晴らしいのですが、装飾過多の感があり、最初は驚き、最後はお腹いっぱいという感じになりましたが(笑)
夜市の食堂
本日、台湾にやってきました。午後の航空機で、着いた頃にはもう暗くなっていました。9時ごろだったかな。時差は1時間、日本より遅くなります。機内食をしっかり食べたのに、ホテルに着いたら開口一番「何食いしん坊か食べに行こう!」です(笑) そう、「おいしいものを食べに行こうよ」と集った友人たちとのグルメツアー? というほど上等なものじゃありませんが、うっかり出国してしまいました。
例年であれば「夏日」であってもおかしくはない台湾ですが、日本と同様、ここ数日は冷え込んでいるようです。桃園空港に着いたときは小雨模様でした。長袖に上着が必要。それでもちょっと寒いぐらいです。
ホテルから5分ぐらい歩いたところに夜市ストリートがありました。下調べはまったくして来なかったので、なんという夜市か、場所がどこなのかもまったく不明(^ ^;) もう、夜更けなので開いている店は少なかったのですが、海鮮料理の店に入りました。というか、お魚屋さんかなぁと思って除いていたら、「これ食べる? あれ食べる?」と聞かれて、「う、うん……」という感じで入ってしまいました。
アサリの炒め物、たけのこの炒め物、野菜とナッツと小魚、茹でた海老、白身のお魚、なんだかわけがわからないので、料理方法もお任せです(^ ^;) 白身のお魚のてんぷらは、一見油っこそうなのに、からっとしていておいしかったです。これにビールを2本頼んで、日本円で3,000円ぐらい。安い! うまい! です(笑) 食べまくって、太って、水曜日に帰国の予定。明日は故宮博物館にはまろうと思っています。明日もお天気があまりよくないらしいので。
たいめいけん
私はハンバーグを、モモタロウはクリームコロッケをいただきました。たしかオムライスが人気メニューだったような気がするのですが、私はケチャップ系はあまり得意ではないので(^_^;) 椅子から転げ落ちるほどおいしいわけでもなありませんが、いまどき日本橋あたりで880円なのですから、十分満足な味です。サイドメニューにコールスローとボルシチがあり、これがいずれも50円です。この50円という値段は、何十年も変わっていないみたいで、サービススープ、サービスサラダのようなものですね。濃厚な味で、おいしいボルシチでした。
この大衆的なお値段は1階。2階になるとランチ3,000円になります。3階はもっと高価なようで、登れば登るほど値段も高くなるというわけ(笑) もちろん、料理もまったく違うのでしょう。しかし、ランチ3,000円は、庶民としてはちょっとご遠慮というところ。年配のカップルなどがご利用のようでした。私も、そういうスポンサーが見つかったときにでも賞味させていたけたらと思います(笑)
中山道を歩く
今日はモモタロウが手をひいてくれたので、とりあえず偵察モードで日本橋からスタートしました。といっても、七つ立ちというわけにはいきません。ランチをして、お茶を飲んで、いろいろ愚痴を聞いてもらって(笑)、歩き出したのは昔の人ならとっくに板橋宿を通過しているだろう時間です。まあ、本日の走破は3キロぐらい(笑)
日本橋の道標は、片側2車線の道路の真ん中にあります。信号が左右赤になったのを見すまして、命がけで写真を撮りました(^_^;) おまわりさんが見ていたら怒鳴られそうです。日本橋の袂にはレプリカがあるので、こっちで我慢すべきでしょうね、ほんとは。日本橋の上を通っている高速道路、はやくなくなってくれればいいと思います。高速道路の柱に「東京オリンピック招致」の帯がでかでかと巻かれていましたが、道路のせいでいかんせん全体が暗いムードです。
日本橋を渡ると見えてくるのが「越後屋」、三越本店です。「越後屋」というと、必ず続くのが「おぬしも悪よのぇ〜」という感じですよね。確か、以前、この辺に「越後屋」の復元したようなお店があったと思ったのですが、期間限定のイベント物だったようで、付近にはオフィスや飲食店などが建ち並ぶばかり……。このあたりは中山道とはいえないような。いまの名前で言えば中央通り、もしくは銀座通りです。
そのままふらりと歩いていくと金座があります。つまり日本銀行。何度も通ったことがある道ですが、アリバイ的に写真を撮ってみました。桜がほんの少しだけ花を咲かせています。中央通りにもどると街路樹が白モクレンの道などもあり、都会は都会なりに春の風情をみせているものです。今川橋までやってきて、ちょっと寄り道。「時の鐘」と「伝馬町牢座敷跡」に立ち寄ってみることにしましょう。
「時の鐘」は江戸時代初期の鐘で、江戸市中に時刻を知らせたものだといいます。1711(宝永8)年、二代将軍秀忠が城内西の丸から日本橋石町に移したものだそうです。明治維新後は、時を知らせる鐘は廃止されましたが1930(昭和5)年、現在の十思公園内に再建されたもの。十思公園一帯は、幕府の「伝馬町牢屋敷」があったところです。時代小説などで、おなじみですね。安政の大獄では吉田松陰がここで処刑され、幕末の熾烈な権力闘争の火蓋がきられたきっかけの場所ともいえるかもしれません松陰が斬刑に処されたのは1859(安政6)年(1859年)、享年30歳といいますから、いまでいえばまだ青年という感じです。
伝馬町牢屋敷は2,618坪(約8,639平方メートル)あったといいます。その大部分が十思公園になっているというのですが、この公園、そんなに広そうには見えません。けっこう削られてきたのかしら? ごく一部が残されているという感じです。でも、江戸地図を見てもそんなに広い牢座敷があったようにも見えないのですが。この牢屋、中は囚人がすべてを仕切っていて、牢屋役人でさえ権限が及ばなかったそうです。つまりは「牢名主」発祥の地でもあるのでしょう(笑) ここの桜はかなり花が開いていました。それこそ、根元には死体が?(^_^;)
牢屋敷からちょっと戻ったところ、岩本町2丁目あたりの道路のすみっこに「お玉が池種痘所跡」という石柱が立っていました。お玉ヶ池は江戸初期には大きな池だったそうですが、幕末にはかなり小さなものになっていたとか。この「お玉が池」のほとりに、1858(安政5)年(1858)、江戸の蘭学者たちが痘瘡の予防接種の普及を図るための「種痘所」をつくり、これが発展して東京大学医学部の基になったそうです。いまは石碑があるだけで何も残っておらず、近くにお玉稲荷があると聞いていたのですが、ちょっと歩き回って見ましたが発見できず(-_-;) 予習をせずに事を起こすとこのような結果がまっているのですねぇ。「お玉が池って、お玉が身を投げたっていう感じの名前ですね」とモモタロウが言っていたのですが、実はその通りだったみたいです(笑)
今川橋まで戻ると神田駅が目の前。「そろそろ電車にのる?」というヒヨリぶりですが、まあ、もう少しというので神田明神の前を抜け、湯島聖堂の脇を通って御茶ノ水駅から中央線に乗りました。こんなアリの這うようなお徒歩で、はたして中山道走破なんかできるのでしょうか?(笑)