「スウィーニー・トッド」
幼なじみが「大竹しのぶを見たい!」といって、勝手にチケットを入手してきたので、つきあったという感じです。確かに大竹しのぶは、年を重ねるごとに迫力のある女優になっていくなぁ感があり、なかなか見ごたえがあります。が、お話がお話なので、なんかあまり楽しい気分にはなりませんでした。だいたい私は、ブロードウェイ・ミュージカルっていうのは、どちらかといえば好みではないかも(笑)
歌になっちゃうからセリフが聞き取りにくい……なーんて、初歩的な苦情を言っております(^_^;) それにしても、ミュージカルを見るなら、明るく、楽しい気分になって帰りたいという潜在的な期待が自分の中にあるようで、お話が不気味で暗いというのが、「いや、ちょっと……」の原因かもしれません。私の中では★1つぐらいでした(^_^;)
名物にうまいもの?
本店は「おかげ町」の五十鈴川沿いにあり、大きな店舗ではありませんが、やはり伝統を感じる渋い造り。餅を包んだ漉し餡についている3本の筋は、五十鈴川の流れを表現しているのだそうです。18世紀初頭、江戸時代に五十鈴川のほとりで販売されたのが始まりと言い伝えられています。あまり甘すぎないから好きという人と、あまり甘くないから好きじゃないという人に分かれることに気づきました。賞味期限が2日では「好き派」にはお届けできないので、今回はお土産はパス。私自身は、「あんこ」と聞いただけでパスです(笑)
伊勢の名物は赤福だけかと思ったら、「伊勢うどん」と「手ごね寿司」というのがありました。ものすごく軟らかく茹でたものすごく太いうどんをたまり醤油に鰹節やいりこ、昆布などの出汁を加えた濃厚なタレにからめていただきます。徹底的にコシがないというのが「うり」の一つだそうですが、私はコシの強さが「うり」の讃岐うどん派なので、「なんじゃこりゃ?」です(笑) 麺を茹でるのに1時間近くかけると聞きましたが、わざわざ時間をかけてふにゃふにゃにするなんて……もったいないと思ってしまったりして。
もう一つの「手ごね寿司」は、やはり濃厚な醤油を中心としたタレに漬け込んだ鰹や鮪などの赤身の魚を、寿司飯に乗せるというモノ。漁師が、忙しい鰹漁の合間の食事として、獲れた鰹を千切りにして醤油につけ、炊きたてのご飯に手で混ぜて食べたのが始まりといわれます。むかしは、ご飯と混ぜて、それこそ「手ごね」だったらしいのですが、いまは風情としては「鮪丼」のような。のっている鮪が刺身ではなく、味つきとうのが違いでしょうか。
えーじゃないか、えーじゃないか
伊勢神宮の鳥居の外は「おはらい町」。「えーじゃないか、えーじゃないか」の掛け声とともに江戸時代には年間200〜400万人もの人が押し寄せたという伊勢参り。おかげ参りは、60年周期で3回あったそうです。この年を「おかげ年」というそうな。奉公人などが主人に無断で、または子どもが親に無断で参詣したのが特徴。このため抜け参りとも呼ばれます。江戸からは片道15日間、東北からも、九州からも歩いて参拝したといいます。東北からは100日以上かかって参詣したとか。
この参詣客を集めた御師と呼ばれる人々が参道に屋根を連ね、お祓いや神楽でもてなしたことから、「おはらい町」と呼ばれるようになったといいます。いまでも風情のある木造建築が立ち並んでいて、町の中央には「おかげ横丁」も。伊勢特有の町並みである妻入の建物や蔵、桑名の洋館などを再現したり移築したりして、江戸時代末期から明治時代初期の門前町の町並みを再現した横丁で、いたるところに縁台が置かれ、紙芝居なども上演されていました。1993年(平成5)年にできたといいますから、まだ比較的、新しい観光スポットです。
伊勢神宮内宮
神社は好きなのだけれど、宮内庁の臭いがするのが嫌。とくに伊勢はプンプン臭う感じで、これまで行きそびれていました(笑) 今回のお連れさんである先輩に「皇国史観なんてしょせん後から作ったもの。お伊勢さんノリで一度は見ておきたいよね」と言われ、それもそうだと行ってみたのですが、入れるのは参道だけ。本当に見たいところはいっさい立ち入り禁止な上に、一番外側の門さえも撮影禁止。
歴史的建造物なのだから、触ったり、汚したりしてはいけないのはもちろんだけど、それならロープでも張って、遠くからでも見せてほしいですよね。写真を撮ったって、建物が傷むことはあるまいし。なんか、もったいぶりすぎているような気がします。せっかく行くのに、人を見に行くようです。かなりガラガラといわれる震災後でさえこの状態ならば、パワースポットブームとか言われちゃってるこれまではどんな状態だったのでしょう(-_-;)
参道は新緑の季節を迎えて、確かに緑が深く、静かだったらそぞろ歩きにいいでしょうね。しかしながら、かなり賑やか。途中で具合が悪くなって倒れた人にも遭遇しちゃいました。大丈夫だったでしょうか? 有名な五十鈴川でもお清めをしている人もいましたが、いま水質が悪いので口をすすぐのは禁止のようです。手前に手水場があり、こちらでどうぞという具合になっていました。
伊勢神宮は原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとしてさまざまな社殿計65棟のすべてを造り替かえる「式年遷宮」というのが行われます。記録によれば第1回は690年に行われたとか。その後、中断や幾度かの延期もあったものの、1993(平成5)の第61回式年遷宮まで続いているそうです。2005年から第62回が進行中。2013年には内宮が予定されているということで、次に遷宮される場所というのがすでに確保されていました。大勢の作業員の方がヘルメット姿でお仕事中。ここの立ち入り禁止はしかたがないですね、危ないもん(笑)
熊野速玉大社
熊野速玉大社は熊野三山の一つ。三山三世信仰に基づいて熊野三山をすべて巡拝してこその熊野詣ということで、この神社にも参拝してまいりました。信仰という意味では、いささか、いや、かなり、まっくたくあやしいものがありますが(^_^;) 熊野古道は、巡礼者が歩きながら、長い年月をかけて苦労して「道」にしたとのこと。かつては先達や御師が引き連れた参拝集団が、遠い国からも徒歩で訪れたはず。バスですいすい回ったのでは、あまりご利益はなさそうですが、しかたがないです(笑)
熊野速玉大社は、どうやら縁結びの神様でもあるようです。参道には、推定樹齢1,000年以上というのなぎの大樹があります。あまり聞きなれない木ですが、平安末期に熊野三山造営奉行を務めた平重盛が植えたと伝えられるもの。高さ20メートル、幹周り6メートル以上で、なぎとしては日本最大とか。国の天然記念物に指定されています。葉は、笠などにさすと魔除けになり、帰りの道中を護ってくれるものと信じられていたそうです。
針葉樹なのに、広葉樹のような幅の広い葉をもつという、ちょっと変わった木です。葉は、縦に細い平行脈がたくさんあって、主脈がありません。そのため、梛の葉は、枯葉であっても横にはなかなかちぎることができません。その丈夫さにあやかって男女の縁が切れないお守りとしても大事にされていたとのこと。一生懸命、枯葉を拾っている方々もいらっしゃいました。縁を切りたくない大事な方がいらっしゃるのでしょうねぇ、うらやましい(笑)
参道の入口にある茶屋には「川原家」という説明書きが掲げられていました。折りたたみ式家屋で、川原に建てた物。大雨が降ったりして、洪水の危険があると思われたときには、さっとたたんで高台に逃げたそうです。組み立て、解体は誰にでもできるようになっていたとか。この茶屋は、新宮高校工学科の生徒が研究テーマとして再現したもので、生徒5、6人で、組み立てに1時間、解体に30分程度だそうです。おもしろい!