エジプトに到着
成田を飛び立って関空に立ち寄り、ドーハで乗り換え。今回はカタール航空です。一度、乗ってみたいと思っていた航空会社だったので、それもこのツアーに乗っかった理由の一つでした。トランジットの時間は短かったのですが、ルクソールまで14時間半の旅。たぶん。機内では寝ているか食べているかという状態なので、時間の感覚はおかしなことになっています。時差は日本より7時間遅れ。ルクソールに到着したのが午前9時半でした。
ルクソール空港には、英語ガイドという人が迎えてくれて、ビザの購入、両替とクライムエリアでの荷物の回収を手伝ってくれます。これがまた、わかりにくい英語で(笑) あとで気づいたのですが、Pの音は完全にB。エアポートがエアボートになるのが、エジプシャン・イングリッシュの特徴です。しかも紙に書かれていた名前が間違っていたので、いったんスルーして、戻ってきてやっと我々を待っていてくれた人に出会えました。あとで多大なご迷惑をかけることになった人ですが、名前は最後までわからず(^^;;
こちらの観光ガイドのシステムは、空港内でガイドをできる資格と、観光地でガイドができる資格がまったく別になっているそうです。私たちを案内してくれる日本語ガイドは、空港に入る資格がなく、空港のガイドは観光地に入る資格がない、とのこと。まとめて両方は取れないのかと聞いたところ(もちろん、日本語ガイドにです)、「まったくダメではないが、ほとんどない」とのこと。雇用対策ではないかと思われます。どちらもエジプト人。空港の駐車場で待っていてくれた日本語ガイドはシシさん。かなり達者な日本語を操りますが、雇用対策問題までは、ちょっと説明できないような、です(笑)
そして、そこからルクソールの怒涛の観光が始まりました。オババには内緒で、シルバーカートという止めれば座れる手押し車を通販で買って持ってきたのですが、これ正解! 遺跡は足元が悪いので、杖でヨタヨタでは到底、観光どころではなかったのではないかと思います。さすがに見栄っ張りのオババも、知り合いがひとりもいないところでは、シルバーカートも使います(笑) それでも、ずいぶんシシさんの手を借り、気遣いもいただいております。
エジプトへ
日本では、かつて安田講堂で全共闘と警官が攻防戦を繰り広げたときも軽井沢の浅間山荘に鉄の玉か何かが叩き込まれたときも、京都や浅草の観光地が危険だったという話は聞いたことがありません(^_^;) どちらも実際にその現場を知っているわけではありませんが、エジプトだって観光地が荒れているという話は聞きませんし。
日本も震災後、福島の一部の地域を除いて危険はないのに、外国からの観光客は激減ですよね。エジプトもタハリール広場を除けば静かなものらしいですが、やはり観光客は激減の模様。エジプトは農業と並んで観光で支えられているようなところもある国ですから、事態は日本より深刻かもしれません。そんなところへノコノコと出かけていけば……、ウエルカム!でしょう、たぶん(笑)
一つ問題があるのは、なんと今回、オババを連れて行くのですよ(-_-;) 行きたい、行きたいと言っていたのですが、歩くのは遅いし、空気は読めないし、とってもじゃないがツアーになんか参加させられない、一緒になった人が迷惑だ!と言っていたのです。ところが、今回はツアーに人が集まらず、最少催行人員2名のツアーが、オババと私のふたりだけのツアーに化けました(笑) もちろん添乗員はつきませんが、現地スタッフが日本語でアレンジしてくれるのです。
ふーむ。だとすれば、疲れたら観光お休みとか、遺跡は入らず外で眺めるだけ、というワガママができますねぇ。旅行代理店に「できますね?」と聞いたら、「現地と相談して適当にやってください」とのこと。それで、急に行くことにしました。オババが「行きましょう!」というので、「連れてってくださいでしょ!」と念を押して(笑) どんだけ珍道中になるやら、旅が楽しみではなく、不安になっている出発前でありました(-_-;)
熊野神社
今日は立春ですが、まさに春は名のみの寒さです。その分、東京では毎日、抜けるような青空。上の写真は、昨日、訪れた熊野神社です。背後に見えるのは、いわゆる新宿の高層ビル街の一角。都庁とは反対の方角で、ビル街のいちばん外れのほうですが、それでもなんというか、古風な神社と高層ビルというコントラストがいかにもおもしろく、友人とふたりで見飽きず、眺めていました。
熊野神社といえば、紀州のイメージですが、けっこう全国にありますね。もちろん、ほとんど紀州の流れをくむ神社ですけど。確か青山にもあったと思います。ここの熊野神社も創建したのはやはり紀州の出の鈴木九郎という人だといわれています。鈴木九郎はふるさとの熊野三山の若一王子を祀ったところ、商売が成功したというので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀ったとか。このへんの地名「十二社」はこれに因んでいるそうです。近所の人じゃないと、なかなか正確には読めません(笑)
江戸時代には景勝地として知られて、後には花街になったとか。いまでいう風俗、ですね。新宿らしい前身です(^_^;) 神社の滝や十二社池は淀橋浄水場ができたときにあっさり壊され、殺風景だった浄水場も高層ビルの都庁に変わり、いまは取り残されたような中央公園の片隅に鎮座しているという具合。大田蜀山人の銘文が刻まれている石の水鉢が隠れるように置いてありました。1820(文政3)年に奉納されたものだそうです。
昔は大きな池があったといいますが、いまは小さな池がありまして、午後3時になろうという時間でもうっすら凍っていました。都心でもそうとう寒かったということですよね。氷を透かして白っぽい鯉の姿が見えましたが、固まったようにじっとしていて、いかにも寒そうでした。
豆まき
幼なじみのおおきいちゃんと久しぶりに新宿でランチ。ちょっと時間が早かったので、中央公園の中にある熊野神社に行ってみました。この神社の横を走る十二社通りは、何千回というレベルで走り過ぎ、「熊野神社前」という信号も目にタコができそうなほど見ていたのですが、神社に行ってみたのは初めてでした。ちなみに十二社は「じゅうにそう」とよみますが、この通りは総延長でも1,348メートルしかないのに東京都道新宿副都心13号線という立派な本名をもっています(笑)
熊野神社の境内に入ると「本日、豆まき」の貼り紙がありました。「そうか、今日は節分であるのか!」と気づきました。食事をしてから再び、豆まきを見に行ってみたのですが、「講話」と書いてあり、どうやら氏子さんが対象のような……。そのとき、ハタと気づきました。大きい神社に行ったほうが、盛大にやってるはず! 近くはどこだ?
というわけで、突然、速歩になり、花園神社へ向ったのでありました。ちょうど、間に合わなかった(^_^;) 豆まきが終わった直後で、氏子さんたちが豆を一握りずつ、見物客に配っていました。ある意味、間に合ったわけで、しっかり豆をいただき、福と一緒にポリポリ。香ばしくておいしかったです。舞台では笛と太鼓で邦楽が演奏されており、和風の情緒も漂っています。そのまま、列にしたがって並んでいたら、福袋を頂戴しました。ラッキー!
たくさんの企業がスポンサーになっているようです。境内を出る前に袋を開けて中身を点検(笑) スポンサーによって中身は異なっていました。自分で選べるわけではありせん。おおきいちゃんがもらった日清ホールディングスの袋にはチキンラーメンが3つ、私がもらった清水建設のにはグリコのお菓子が入っていました。
分けようと相談していたら、知らないおじいちゃんが覗き込んできました。「いいなぁ。俺のはスポンジとか台所用品。食べるもののほうがよかった……」と。わかりました。物々交換しましょう(笑) チキンラーメン1つとグリコのお菓子を半分あげて、スポンジ、お掃除シート、メモ帳などをゲット。うちもいらないけどなぁ、こういうもの(^_^;)
福袋の中は、高価なものが入っているわけではありませんが、なんだかとても得した気分(笑) 風がなくて日向は暖かかった新宿の街をプラプラ歩き、ちょっと贅沢をしておいしいランチをいただき、最後に豆を食べて、福袋まで頂戴し、今日はほっこり幸せです。単純なヤツらだ(笑)
冷蔵庫の中のように
新潟に住んでいる友人からのメールによれば、あちらは冷蔵庫を通り越して冷凍庫の中のようですね。外に出してあったものを、冷蔵庫で解氷するとか? 屋根は融雪システムなので雪下ろしはしないですむらしいのですが、通勤するのに電車やバスがなかなか来なくて困っているそうです。そうでしょうねぇ。テレビで気象情報をみれば、あちこちで街が真っ白になっている映像ばかりです。
雪国は、雪が降ってくれなくても困るのですが、降り過ぎても困ります。私は行かないのですが、今週末はスキー大会もあります。みんな、たどり着けるのかどうか、心配。さっき競技部長と話をしたのですが、「何年前だったかなぁ、夜着くはずの人が明け方になり、ついにはたどり着けない人がいたことがあったよなぁ」と。そうそう、そんなこともありました! 今週末は、金曜日の夜までに天気が回復してくれることを祈りましょう。