ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/09/13  (木) 

恵林寺(甲斐霊場第9番)

乾徳山恵林寺、「えりんじ」と読みます。甲斐武田氏の菩提寺として武田信玄の葬儀が行われた臨済宗の寺院です。14世紀初頭、鎌倉時代に開山され、一時は荒廃したものの、1564(永禄7)年に武田晴信(信玄)によって復興されたお寺だそうです。
 
信玄が没したのは1576(天正4)年、その6年後の天正10年には織田軍によって焼き討ちにあったということで、波乱万丈な歴史を経てきた寺院のようです。このとき、快川和尚が燃え盛る山門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と言って焼死したことが有名です。こんな故事は知らなくても「心頭を滅却すれば……」というのは、誰でもどこかで聞いたことのある言葉ですよね。
宝物殿もあります   

 
のちに徳川家康によって再興され、5代将軍綱吉時代に甲斐の領主となった柳沢吉保が大規模な修復をはかったとのこと。信玄の墓所がある本堂裏の西側には、柳沢吉保夫妻の墓もあります。
 
さすがに信玄の廟があるお寺らしく、でっかい!という印象です。本堂を拝観するためには拝観料300円なり。入ってみようかしらと思っていたら、どーっと団体さんが……。大型観光バスが着いたようです。「越後交通」という旗をもったガイドさんが少なくとも4人はいたので、200人近い人々でしょうか。そっか、今年は風林火山ですからねぇ。あまりの人ごみに圧倒されて、中に入るのは見合わせました。また、ブーム?が去った後にでも機会はあるでしょう、と。
 
寺院も大きいですが、境内もお庭も立派なものです。これまで回ってきたお寺の中では群を抜いていました。南北に長い敷地の南端には「雑華世界」の偏額がかかる黒門、長い参道を200メートルぐらい進むと重要文化財の四脚門(赤門)、ここを入ると明るく広い庭園になっています。ここには茶店や売店などもあって、観光客があちこちのベンチに腰をかけくつろいでいます。この庭の北端には県指定文化財の三門、その先に開山堂、本堂、庫裏などが建っています。いや、本当に広い! ここより大きいのは身延山久遠寺ぐらいでしょうかね。
  
あまりの人の多さに行ってみなかったのですが、裏手にある庭園は1944(昭和19)年6月26日に国の名勝に指定されているそうです。上段が枯山水、下段が心字池を配した池泉回遊式で、「その規模の大きさと美しさは他に類を見ない」と言われます。この辺りの寺院をあと100近くうろうろしようという目論見なのですから、人の少なそうなときにまたゆっくり訪ねたいと思います。 
 
こんな大きなお寺で、訪れる人も多いのに、御朱印を僧侶が筆をとって一つ一つ手書きしてくださるのは、当たり前の風景かもしれませんが、ちょっと驚きました。小さなお寺でも印刷、あるいは複写したものに判だけ押して日付を書き込むというところが多いので。汗だくで御朱印を書いてくださっている僧侶の前には、御朱印帳が山のように積まれていました。団体さんより一歩だけ、先に御朱印帳を差し出したのは本当にラッキーでした(^_^;)



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2007/09/12  (水) 

つまらない一日

今日は朝から(昼から、かな)、報道番組はもっぱら安倍首相の辞任問題でもちきりでしたね。朝はなんとか鈴香容疑者の話題で、相変わらず朝青龍でって感じだったのが、全部、ふっとんだ感じで。それはそうか、一国の首相の動向ですものね。みんな、なんでいま? という感じだったでしょうし。これまでの経緯からみれば、唐突な感じがしますよね、確かに。
 
ここで政治的な話をする気は全然ないですけど、政界の朝青龍か? って、感じがしました(笑) これって逃避行動じゃないの? とか。なんだかストレス過多に耐えかねて、逃げ出しちゃったような感じがしちゃうのですね。一国のリーダーとしては、精神力が弱いかも、とか。
 
雨がやんだので、ふらっと本屋に行って、図書館に行って、そのまま映画館なんかいっちゃって、「HERO」なんか観ちゃって、帰ってきて、習慣的にナイターなんかみちゃって、まあ、この「美しい国」の行方なんかどこ吹く風……という一日を過ごしちゃったので、政治家の悪口なんか言えた義理ではないですけどね(-_-;)
 
平日の昼間だっていうのに、「HERO」やってるスクリーンはけっこう人が入ってました。やっぱり圧倒的に女性が多かったですね、老いも若きも。やっぱりキムタクって、人気があるんですね。男性がどのくらいいるのかなって、数えてみたら、単独で3人、初老のふたり連れが1組、カップルが9組でした。だから、何?(笑)



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2007/09/11  (火) 

二百二十日

二百二十日は、立春から220日目の日で、八朔、二百十日とともに、台風の特異日の1つだそうですね。統計的には、台風は9月中旬から下旬にかけて襲来することが多いそうで、二百十日よりも二百二十日のほうが確率が高いとか。
 
今年は、これまで上陸した台風は3つ。10年ぐらいのスパンでみると上陸する台風は年間2〜4ぐらいのようです。でも、10個も上陸した年もあるので、油断は禁物という感じですね。
 
東海以北は9号にはひどい目にあわされました。台風10号は陸地をかすめることなく去っていったようですけど、また奄美諸島には大雨洪水警報が出ているとか。これはまだ熱帯低気圧ですけど、ほとんど台風といってもいいぐらいですよねぇ。大きな災害がないといいのですが。
 
台風と呼ばれるのは、熱帯低気圧のうち北西太平洋や南シナ海にあり、低気圧域内の最大風速がおよそ17m/s(34ノット、風力8)以上のものだそうです。この基準を満たしていないために「台風」と呼ばれなくても、それに近いものは十分な脅威ですよね。そういう意味では秋雨前線だって、脅威になり得ます。
 
自然というものは、美しいし、素晴らしいし、怖いものだなぁ、と。今日の関東地方が梅雨前線の影響でどんより、むしむし。雨の予報も出ているようです。



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2007/09/10  (月) 

行人坂界隈

さんまを消化させるために?目黒駅近辺を探索。何度も通っている地域ですが、本当に通り過ぎるだけで、これまでゆっくりここら辺りを歩いたことはありませんでした。行人坂を目黒川に向かって降りていきます。途中に「大円寺」というお寺があり、行人坂の由来はこの寺にまつわるものだそうです。17世紀初頭の寛永年間にこの辺りに巣食っていた不良のやからを放逐するため、幕府が奥州から高僧行人「大海法師」を迎え、 大日如来の堂を建立したのが始まり。大円寺には、行人(修行者)が多く住んでいたため、行人坂と呼ばれるようになったとか。
 
大円寺の入り口に「八百屋お七・吉三の墓」があると書いてあったので、ちょっとのぞいてみることにしました。あいにく大円寺の墓地は非公開で、八百屋お七のお墓は見ることはできませんでしたが、入り口を入ってすぐ左側にある羅漢さんに圧倒されました。この大円寺が火元といわれる1772(明和9)年の行人坂の火事は、振袖火事、車町火事と並んで江戸三大火のひとつです。火は、折からの強風により、白金、神田、湯島、下谷、浅草までを焼きつくす大火となったそうな。この石仏群は鍛冶の犠牲者供養のために、50年の歳月をかけて完成したといわれています。釈迦三尊像、五百羅漢像など、520体もあるという石仏像は、1970(昭和45)年、東京都の有形文化財に指定されたそうです。
 
行人坂を下りきった、雅叙園の入り口に「お七の井戸」がありました。八百屋お七は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘。八百屋お七の話はいろいろな説があり、登場人物もいろいろで、単なる物語なのでは?と思わせるところが多いのですが、天和の大火で寺に避難した際、吉三に惚れ、火事になればまた会えるのではないかと放火して、捕まって鈴ヶ森刑場で処刑されたというのが大筋。歌舞伎などの演目でおなじみですよね。
  
吉三はお七が処刑された後、西運と名乗る僧になり、明月院という寺に入ってお七の冥福を祈ったとか。その明月院は雅叙園の入り口から庭園のあたりにあったもので、明治13年まで現存したといいます。その面影を伝えるのが、雅叙園の入り口にある「お七の井戸」。西運が念仏行に出る前にここで手を清めたことから、そうよばれているという説明でした。
ただこれだけのものですが

  
雅叙園は、いまでも和風の素敵な風情を楽しめる建物として、結婚式などに人気ですが、かつては広い庭園と歴史のある素晴らしい建築と内装で有名でした。美術品だけで何十億という価値があったそうです。この古い建築は一部を残して、1988(昭和63)年に改築され、美術品も相当数が処分されたとか。
 
百段階段と絢爛豪華な江戸時代の部屋の一部は残されているというので、ぜひ拝見したいものだと思ったら、現在は一般公開されていないそうです。「すみません、入れません」と止められたスタッフの方が昔のことをよくご存知の方で、いろいろなお話を聞かせていただきました。ラッキー! たまたまテレ朝の取材が入っていて(外国人を中心に撮影が進められていたようなので、「外国人から見た日本の文化」的な番組なのでしょうね)、その解説に立ち会っていた後らしかったです。この番組は、19日(水)の夕方6時半ごろから放映されるらしいので、もしかしたらここで雅叙園のすごい壁画や天井画、美術品などを垣間見せてもらえるかもしれません。
 
この百段階段という建物に入れる手段が一つあるそうです。月のうち何日か、決められた日に見学プラス食事のツアーが用意されているとか。うーむ、ランチに1万円近くかかるのでは、貧乏人にはきついですねぇ。でも、大枚はたいて、一生に一度ぐらいは見ておく価値があるかもしれないと思いました。



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2007/09/09  (日) 

さんまは目黒に限る!

というわけで、目黒の「さんま祭」に行ってきました。10時からという話だったので、友人と10時に目黒駅で待ち合わせ。駅を出たところからさんまを焼く煙が上がっているのが見え、いい匂いが漂ってきます。10時から始まるのに10時集合、これは甘いといえば甘いわけで、食べられなくても見物だけしてくればいいやと……。
 
いや、本当に甘かった! 10時の時点で、たぶん1キロぐらいは行列ができていたのではないでしょうか。行けども行けども最後尾というのが見えてこないのです。やっと行列の尻尾を発見すると、早めに着いた友人が先に並んでくれていたので、10メートルぐらいは楽しましたが(^_^;)
  
普通は並んでまで何かを食べる……というのは嫌いなほうで、友人も決して気が長いとは言えないタイプですから、列ができていると「やめようか〜」ということになるのですが、まあ、けっこう久しぶりに会ったこともあり、なんだかんだと話の種もあったので、ついに秋刀魚のお姿を拝見するところまで並んでしまいました。途中、すだちらしきものが街路樹になっていたので、これを一つ……(笑) いえいえ、焼いたさんまにはちゃんとすだちもかけてくれるのですよ。
 やっと煙が見える距離に

 
目黒のさんまは当然、目黒で獲れるわけではないので、本日、提供してくださっているさんまははるばる宮古港から運ばれてきたものだそうです。宮古の方々も汗だくになってさんまを焼き、宮古湾の特産品の紹介もしていました。実際、さんまを焼いている方は、熱いし、暑い、煙いし、なかなか難儀なお仕事のようでしたよ。添えられるすだちは徳島、大根は那須塩原からやってきたものです。
 
並ぶこと約2時間。人数にして2200番目前後だったらしいです。さんまは5000匹用意されているお話だったので、ということは、食べられるのは13時ごろまでに並んだ人まででしょうか。3時ごろ、もう一度、通りかかったときには列はすごく短くなっていましたけど、この辺の方々が本当の意味で最後尾だったんでしょうね。しっかし、さんま一匹のためによくやるよ、我ながら(笑) おいしかったですけど。
白いご飯持参の人も! 


同時に、臨時の寄席で目黒のさんまの噺をやっていて、こっちも整理券の世界。福引の券ももらいましたが、こっちも行列の世界。落語はスピーカーから流れるのを聞くだけですませ、福引は「どうせ、ティッシュしか当たらないに違いない」という確信から、権利を放棄しました(^_^;)
寄席はこちらで      
帰りに老舗の和菓子屋さん「玉川屋」で、目黒のさんまの和菓子(「目黒昔ばなし」という名前)をおみやげに買い求めました。さんま祭りは今年で12回を迎えたそうですが、ここのご主人の話によると、はじめは路地裏の小さな公園でほそぼそとやっていたのだそうです。それをNHKが取り上げたのをきっかけにこんなに大規模なお祭になったとか(行列のために幹線道路を車線規制してます)。恐るべし、メディアの力!というべきでしょうか。素晴らしい、メディアの力!というべきでしょうか。



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放光寺(甲斐霊場第8番)
雲峰寺(甲斐霊場第11番)