ある小説の中に、世界を旅して「何を祀ってあるのかわからないんだけど、地元の人が拝んでいるものには手を合わせることににました。そうしたら、なぜか商売がうまくいくようになったんですよ」というフレーズがありました。SFだし、本筋とはまったく関係ないんだけど、心に残った一節です。そんなわけで(どんなわけで?)、日々の何気ないできごとを綴ってみようかと思います。
2007/11/19  (月) 

国分寺(甲斐霊場第37番)

国分寺というからには、きっと大きいお寺だろうと予想していました。で、教えられたところに行っても見つかりません。近くをぐるぐる回って、道行く人にも教えていただき、その通りに行ったはずなのに……。そこで見つけたものはだだっぴろい草地と一本の木、そして「史跡甲斐国分寺跡」の立て看板だったのでした。あら〜、国分寺はなくなっていたのですね〜。
 
国分寺と国分尼寺は8世紀前半に諸国に建てられた官寺です。68ヵ所に建てられたそうですが、いまは一つも残っていないのだそうですね。そうと知っていればはじめから「跡」を探したものを……。不勉強だと、こんなところでも迷子になるのです(-_-;) そういえば東京にも国分寺市がありますが、お寺があるという話は聞いたことがありませんね。そうだったのかぁ〜。
 
立て看板の道路の向かいが国分寺のあった跡で、現在はブルーシートで養生されています。かつて伽藍のあったところの礎石のようです。史跡公園にする計画があるとか、ないとか。墓石なども一ヵ所に集められていますが、作業が進んでいるという気配はありません。
 
さらに奥には、五重塔が立っていたという礎石が残っています。さすがに国分寺の五重塔は大きかったとみえて、礎石も大きなものです。直径2.8メートルの礎石を中心に13個の礎石が方形に並んでいるのが見てとれます。高さ50メートルの塔がそびえ立っていたそうです。 この境内と周辺は国の史跡に指定されていました。セットの国分尼寺跡は500メートルほど北にあるそうですが、行ってみませんでした。だって、こっちも「跡」だけですものね。
  



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2007/11/18  (日) 

超願寺(甲斐霊場第36番)

超願寺へ行くにも、やっぱりウロウロ。ちょうど駐在所があったので、食事中らしかったおまわりさんを呼び出し、大きな地図で見てもらいました。しかし、曲がり角に目印になるようなものがないので、教えるほうも聞くほうも難儀です。「この道を右へ行って、確か牛乳の看板が……、明治牛乳の看板があると思ったな、そこを左」と教わって走っていくと、「武田牛乳」の看板が。ん? ここかな? 明治じゃないけど、とりあえず曲がってみるか……、そのあとは迷路でした(-_-;)
 
郵便局の前に出たので、中に入って道を聞くと、ちょうどその近所に住んでいるというお客さんが来ていて、「ついていらっしゃい」と言ってくれました。甲州は道は難しいけど、親切な方が多くて助かります。結局、来た道を戻った感じで、角に「明治牛乳」の看板がありました。おまわりさんの言いつけに従わなかった私が悪うございましたm(_ _)m

超願寺は桃畑の真ん中にある感じです。もちろん、いまは枯れ木という感じですが、春にはきっとピンクの雲の中にうずもれるようになるのでは? 夏になると桃の甘い香りが漂いそうです。クルマは裏口から失礼する感じですが、徒歩であれば桃畑の横にある山門から境内へ入っていくことになります。緑の庭木の中に南天の赤い実がひときわ鮮やかな色を放っていました。
 
親鸞が開いた浄土真宗は、数えて八世の蓮如の時代に日本各地へ布教に歩きました。甲斐には1447(文安4)年に訪れ、もともと天台宗の寺院だった昌願寺を浄土真宗の超願寺に改めのだそうです。 公開はされていませんが、超願寺には日本にただ一つといわれる、矢文が残されています。

  
織田信長が大阪石山本願寺を目の敵にしていたのはよく取り上げられる話ですが、超願寺の住職も呼びかけに応えて、石山本願寺の篭城に加わったのだそうです。攻めあぐねた信長が和睦を申し入れ休戦となりましたが、和睦に反対した本願寺の門主の嫡男だった教如は「信長を信じてはいない。各国の門徒は命を惜しまず、本山の再興に協力してほしい」と記した文を矢につけ四方に放ったとか。この矢文を直接、手渡された超願寺の住職が甲斐に帰って門信徒たちに披露したものが残されている矢文だそうです。なんだか、すごい歴史スペクタクルがこの地にあったという感じですよね。
 
いまはとても静かで、ゆったりとした時間が流れています。御朱印をいただいた坊守さんがとても優しい方なので、甘えて、境内でお弁当をつかわしていただきました。



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2007/11/17  (土) 

広厳院(甲斐霊場第35番)

妙亀山広厳院は、ひっそりとした山裾にありますが、このあたりはかつて甲斐四郡(山梨、八代、都留、巨摩)の真ん中で、中山と呼ばれ栄えたところです。いまでも地元では「広厳院」より「中山」という名前のほうが通りがいいとか。山号の妙亀は池に霊亀がいるという伝説があったからだそうです。
 
いまでは、またしても、「うわぁ〜、通れるのかな?」という道の奥にあります。入り口石垣のようなもので道幅規制をしている感じで、車幅感覚を問われますねぇ。ゆっくり、いっぱいいっぱいで入っていけば、広々とした境内が開けました。敷地内に大きな幼稚園もあります。御朱印をいただくために庫裏を訪ねると、年配の女性が対応してくださり、本堂もわざわざ開けてくださいました。住職のお母さまだそうです。
 
本堂の建物はとりとめのない感じなのですが、中は広々としています。それもそのはず、かつては甲府市の大泉寺(第59番)とともに甲斐曹洞宗830寺をまとめるお寺で、80人以上の僧が修行していたのだそうです。敷地が2万6千坪、境内の周囲が1里24町(約4.9キロ)あったとか。また、石和町中川から広厳院までの参道は、中山街道と呼ばれているくらいだったそうな。
 
それほど大きなお寺も、いまは時代に取り残された感じのたたずまい。お母さまいわく「息子は幼稚園のほうばかり一生懸命で……。お寺のほうはどうもねぇ」。最近、太鼓は修理したそうですが、この大きな本堂を維持していくのはなかなか大変なようです。
 
見上げると本道の天井近くの梁に、江戸時代の駕籠が4台も下げられています。高い所にあるので、細かいところは見えませんが、貴重なものなのではないでしょうか。ただただ吊り下げられているのはもったいない感じ。梵鐘は、県の文化財に指定されているそうです。こういうお寺の維持管理、なんとかならないものかなぁと思います。幼稚園児の声がときどき響く以外は、妙に静かなお寺でありました。



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2007/11/16  (金) 

川中島古戦場跡

長野インターを出て、長野市内へ向かう道を走るとすぐ右側に「川中島古戦場跡」という「観光スポット」があります。通るたびに何年も目にしていたのですが、行ったことはありませんでした。今回は大河ドラマもやっているし、急ぐ旅でもないので、ちょっとよっていくことにしました。しかし、大河ドラマの影響っていうのはすごいもんですよね。平日だというのにバスプールには大型観光バスが何台も停まっていました。
 
正式には八幡原史跡公園という名前です。確か5回ぐらい戦ったのではないかと思いますが、犀川と千曲川の中州で戦った、川を挟んで両軍が対峙などと漠然と考えていて……、河原の草野球グラウンドのようなものをイメージしていました。すみません、そんなに狭いわけがない! 3万人の兵が終結していたんですものねぇ(笑)
  
八幡原史跡公園は広くて、ちょうど紅葉がまっさかり。ここは、1561(永禄4)年に戦いが繰り広げられた場所だそうで、信玄と謙信の戦いの中でももっとも激しい戦いの舞台となったとのことです。山本勘助もここで戦死したそうですから、きっと近いうちにドラマにも登場するのでしょう。録画してあるのですが、まだ半分ぐらいしか見ていなくて、私の中ではまだ山本勘助は長尾影虎に会ったばかり(^_^;)

  
史跡公園の駐車場に最も近いあたりの松林の中には古くからの八幡社があります。八幡社のまん前には見事なご神木。境内には信玄と謙信の一騎討ちの像や三太刀七太刀之跡の碑、首塚などがあります。

  
いずれも作り物なので、地形や戦の雰囲気などは伝わってきませんが、囲いに旗指物などをたなびかせ、雰囲気作りをしている観光協会の努力は評価しましょう(笑)
 
八幡社を抜けると池がありました。周囲はたくさんの木々がさまざまなに色づき、これは素晴らしい風景です。ツツジの植え込みも真っ赤。付設されている建物では、風林火山の特別展示や講演会、長野の歴史の勉強会などが開かれているようです。素通りしました、すみませんm(_ _)m
 
土手らしきものに登ってみましたが、川ははるか彼方に流れているようで、この古戦場と川の間は、すでに街になっていました。奥のほうには広々とした芝生が開け、ちょっとしたピクニックによさそう。佐久間象山先生の銅像があたりを睥睨しています。ん、時代が違う? ああ、そういえば佐久間象山は松代の人だったような。長野が誇る賢人のひとりなんですね。
  
出口のところで、地元の農家の方々でしょうか、テントを張って野菜やリンゴの即売をしていました。太く長く見事な山芋に魅せられ……、大きいのは食べきれないので小さめのを購入しました。ついでに豆も。なんだか、隣でリンゴやらなにやら、大量に買い物をしている仲間もおりました(^_^;)



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2007/11/15  (木) 

新蕎麦

昨日は甲州、今日は信州へ新蕎麦を味わいに行ってきました。遊びすぎです(-_-;) でも新蕎麦ツアーは毎年、この時期のお約束? 歯ごたえのあるおいしい新蕎麦をいただき、お腹いっぱい! 戸隠の中社地区でまず1件目のお蕎麦屋さんへ。このお店はメニューに載っていない蕎麦団子もおいしいので、とりあえず、サービスを強要し(^_^;)、そのあと新蕎麦をいただきました。
<戸隠神社中社>
腹ごなしといってはナンですが、戸隠神社中社へお参り。戸隠神社は日本でも有数の神域といわれるところです。戸隠山の麓に、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社があります。全部あわせて戸隠神社。二千年以上の歴史をもつ神社です。
 <階段合計92段!>
平安時代には修験道の道場として知られた霊場でした。神仏混淆によって戸隠山顕光寺となり、比叡山、高野山と共に栄えて、たくさんの宿坊を並んでいたそうです。いまでも中社付近には、講の方々が利用する宿坊がいくつも残っています。って、気取ってみましたが、ここは私のホームゲレンデ、定宿だったりして。かつては何十日も滞在し、荷物置きっぱなし〜みたいな宿坊があったりするわけです(^_^;)
<杉が合体した三本杉> 
今日は中社にだけお参りしましたが、奥社や宝光社にも何度か足を運んでいます。「天の岩戸」の神話は有名ですが、戸隠神社のご祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々。壮麗な杉林を2キロ近く歩いてやっと到着する奥社のご祭神は天照大神が天の岩屋に隠れたとき、天の岩戸をこじ開けた天手力雄命。中社は神楽を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという天八意思兼命。宝光社のご祭神は思兼命子どもといわれる天表春命です。
  
100回以上来てる感じの戸隠なのに、手力雄命より古い神様らしい九頭龍大神を祀った九頭龍社と岩戸の前で舞った天鈿女命を祀った火之御子神社へは行ったことがないので、今回こそ!と思いましたが、お蕎麦に意識が集中し、また行きそびれました〜。天鈿女命はストリップの元祖なんていわれますね(笑)
 <境内に湧水の清流>
中社をお参りしたあとは、鏡池に行ってみました。もう紅葉もすっかり終わり、初冬の気配です。紅葉の季節は、色とりどりの山がくっきり湖に映りこみ、とても美しいのですが、この時期だと新蕎麦がまだなんですよね(^_^;) さっきまでお日さまが出ていたのに、冷たい小雨が降り始め、温度計は5℃を示しています。さむっ!
 
コーヒーショップで温まり、湖畔にも立たず宝光社地区へ下り、宝光社にお参りもせず、またお蕎麦やさんに直行しました。わずか2時間足らずの間に、お蕎麦二枚目。今回は4人の小旅行でしたが、3人は完食。挫折1名。私はもちろん完食です。東京より一人前の量が多い感じで、けっこうずっしり胃にこたえてます。けど、本当においしんですよね、戸隠の蕎麦は。



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称願寺(甲斐霊場第34番)
広済寺(甲斐霊場第41番)